ディープ・ダンジョン〜夕庵〜

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help RSS 毎回よ冬の九州が寒いのは

<<   作成日時 : 2011/12/27 22:15   >>

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 冬場の旅行に、寒冷地は駄目である。何と言っても、雪が降る。行動範囲が狭められる。従って、東北・甲信及び北陸・山陰は避けたいところだ。と言って、これだけの地域を旅行予定地から外すとなると、残された選択肢と言うのは、さほど多くない。必然的に、冬は九州や四国に行くケースが多くなる。今回の旅行もそのパターンである。

 元をただせば、「フェリーで大阪から宮崎に渡航し…」などと考えていたことの名残で九州旅行となったのだが、フェリー旅行はまだハードルが高かったため、当初計画を換骨奪胎して、福岡へのバス旅行となった。福岡の隣の大分には、気になる城がまだいくつか残っているし、別府温泉にも興味があったので、ある時期までは大分方面への進出も考えていたのだが、列車の乗り継ぎの悪さが、旅行日程にとって大きな負担となるため、大分行きも切ることになった。結局、福岡県内で3つほどの城を取った上で、中国地方を東上する形で行こうとなった。後はせいぜい、取り残しとなっている唐津城も押さえようかどうしようかという程度の思案はあったが、最終的には、唐津さえもオミットする旅となった。

 本郷亭での夕食と言う、これはいつもの儀式を済ませ、名鉄バスセンターに向かう。バスの発車時間を1時間早く勘違いしていたため、しばらく手持ち無沙汰の時間を過ごすことにはなったが、それ以外は大きなトラブルもなく、出発時間を向かえ、博多行きのバス「どんたく号」は走り出した。前回このバスに乗ったのは、3月11日夜のことだった。車中、高速道路を東へと走る、消防車両の群れとすれ違ったことが思い出された。

■立花山城
 立花山城は、これまで長らく攻略未着手のままで来ていた、懸案事項中の懸案事項と言って良い城だった。比較的アクセスが容易な反面、福岡を発って南へ向かうパターンが基本の九州旅行のメインルートからは外れるがゆえに、不遇をかこってきた(?)城だ。今回は博多到着後に本州方向へ戻ってくるという、ややイレギュラーな経路での旅行となったため、ついに攻略の機会が巡ってきたものだ。
画像 立花山城は、福岡市郊外と言って良いような立花山の山上にあった。最寄り駅で言うと福工大前駅ということになるのだが、この駅名が近年になって変わっているらしいところに惑わされた。駅から立花山登山口までは、歩いて40分ほどの距離である。当初見込んでいたよりはやや遠いが、立花山自体が、福岡市近郊のハイキングコースとしてかなりメジャーな存在らしく、登山口を見つけるのが容易だったのは予定外の一。こちらはどちらかと言うとうれしい誤算なのだが、ありがたくない読み違いは、ハイキングコースとしてメジャーであるため、登山者がかなり多く、どうも落ち着かないのと、明瞭な城郭遺構がごく限定的にしか残されていなかったことだ。一部を除けば、どこからが近年の登山道整備による土木工事なのか、はっきりしない箇所が多い。山頂が、本丸に相当するのだろう。広く、平らにならされている。ただし、そんな山であるため、展望は絶佳である。博多湾を中心にして、福岡の街や、海の中道を眼下に一望できる。

■門司城
 多分に時間合わせ的な意味合いが強いが、立花山城の後は、北九州市の門司城跡を目指した。関門海峡を見下ろすこの城は、その地理的特性に鑑みて、政治上も軍事上も、極めて重要な意味合いを持つ城であった。源平時代には、すでに城が存在していたようで、足下の壇ノ浦における戦いでの、平家の最期をも見届けていることと思われる。
画像 現在の門司城は、その中腹に自動車交通の大動脈となる関門自動車道を抱え込むような形になっているが、鉄道交通の面から注目すると、門司駅から延びる盲腸線の末端のような、門司港駅が最寄り駅になっている。ただし、門司港駅周辺は、駅舎も含めてレトロな雰囲気の街並みで売り出されており、観光客の数も決して少なくない。門司城跡は、そうした賑わいから少し離れた、和布刈公園の最高所に位置している。
 遺構らしきものは、ほとんど見当たらない。ただ、門司城跡の石碑が建つのみである。今日もなお、国際航路としても重要な位置を占めている関門海峡を真下に見下ろせると言うそれだけで、ここに城を築く意味は認められると言うものだが、ここも眺め以外には別段目を引くものが無い。

 門司城攻略後は、広島まで移動。普段は九州北部及び中国地方西部エリアから遠く離れて暮らしているため、何となく、それほど離れていなさそうな気がしてしまう北九州市と広島市だが、鈍行で移動しようとすると、門司→下関→山口→広島と乗り継いでも、軽く4時間はかかってしまう。名古屋から京阪神地区を横断するのとは訳が違うのだった。

 夕食は、夏の時と同じくお好み村にしようかと思ったのだが、夏以上に店内が込み合っていたため、断念。大体、寒気の襲来とかで恐ろしく寒い中、粉もんを食べても、さほど体が温まるとは思えない。結局、近くにあった「餃子の王将」で味噌ラーメンと餃子を食べたが、この味噌ラーメンと言うのが恐ろしくしょっぱい。夜になってから、喉が渇くのではないかと心配になったのだが、予感的中だった。いつもどおり、グランドサウナのカプセルの中で横になっていると。喉が渇いてしょうがない。さらに悪いことに、カプセルの中が、外の寒気が何だったのかというほど、夏場の寝苦しさを思わせるような熱気で満たされている。寝苦しさを覚えながら、ようやく落ち着いたのが夜半過ぎだったが、翌朝は5時過ぎには駅へ向かって出発する段取りになっていたため、ほとんど眠れない夜になってしまった。

■三石城
 ともあれかくもあれ、二日目を迎えて向かった先は、岡山県でも兵庫県との県境に近くにある三石城だ。広島県と岡山県は隣り合った県には違いないのだけれど、広島県内でも西端に近い広島市から、岡山県内の東端まで移動する形になるため、広島駅を6時前に出る列車で発しても、三石駅に到着したのは10時直前のこととなった。
画像 三石城は、備前を代表する戦国大名である浦上氏が、初期の居城としていた城だ。室町時代以降、赤松氏の被官として立った浦上氏だが、16世紀に入って戦国大名化を果たしている。後に家中が分裂、以前に訪ねた天神山城を居城とする宗景と、依然三石城を本拠とする政宗の二派に分かれたが、政宗の方は旧主赤松氏に滅ぼされている。三石城は最終的に宗景の手に落ちたようで、宗景系浦上氏の本拠は変わらず天神山城ではあったものの、街道筋に位置する境目城であった三石城そのものの重要性は失われなかったと見え、城跡はかなりの規模を誇ると共に、その一部に相応の規模の石垣が現存している。全国的な知名度の割には、見ごたえのある城だと言えよう。
 ただ、三石駅に降り立ち、1時間で見学を追えて駅に戻ると言うのは少々厳しいものがある。縄張り探索もほどほどに引き上げれば可能なのだろうが、私は中途半端に城跡に長居したため、10時台に1本の列車を見送った直後の三石駅で、次の列車まで1時間弱ほどの間を待たなければならなくなった。最近すっかり忘れていたが、岡山‐相生間は、山陽本線沿いとは言え、1時間に1本程度しか列車のない、乗り継ぎ困難の地なのだった。

 今回の旅行で見られたのは、これらの三城だけである。一応は計画通りだったのだけれど、京都にもう一泊していく予定だったのを取りやめ、1泊2日で名古屋に帰ることになった。京都では、阿弥陀が峰の豊臣秀吉廟を見学して行こうと思っていたのだけれど、これは次の機会になりそうだ。と言ってもそんなに先のことにはならない予定である。

 この冬、次の計画は東京を基点とした関東旅行である。千葉の城、日光東照宮あたりに行けると良いと思っているのだが、私自身が東京を苦手としているので、少々不安に思うところもある。東京は後戻りしないのである。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
立花山城跡、ちょっとした登山気分も味わえますね。
門司城跡は眼下に関門海峡が見下ろせて、眺めも素晴らしいですね。
桃源児
2011/12/27 22:19

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