虎は死して皮を残す。人は死して…

 今日、地下鉄の中で乗り合せたおっさんが言っていた。「『人体の不思議展』で展示されている人体模型は法輪功の死体だ」と。一面識もないおっさんである。どういう素性の人なのかも知らぬ。従って彼の放言にどの程度の信憑性があるのかも分からん。ただ、内容そのものはずいぶん前からネットで見かけていたものでもある。特に、中国との折り合いが良くない「2ちゃんねる」ではしばしば見かける言説だ。個人ブログの類にも、無批判にそれを事実として受け入れているところもあるけれど、それがついに日常会話の中で聞かれるようになったのかと言う感慨はあった。

 問題の展覧会は、数年前から日本国内でも時折開催されている。東京を皮切りにして、当初は一部の大都市を中心にして展示が行われていたが、最近では県庁所在地クラスの都市でも開催されるようになっているので、実際に足を運んだ経験のある人も少なくないだろう。かく言う私も、何年か前に名古屋展が開催された時に見に行ったことがある。

 同展で展示されているのは、実際には人体模型ではなく人体標本だ。つまり、もとは生きて動いていた人間の体なのである。それを、良くあるホルマリン漬けのようなやり方ではなく、常温の空気中で半永久的に保存出来るようにし、標本としてより利用しやすくしたのが画期的なのだという。実際に展示品の一部には、直に手を触れることができるものもあるのだけれど、それが賛否両論の評価につながってもいる。つまり、かつては普通に生きていた人の遺体を見世物同然に衆目の前に晒すような真似が果たして許されてよいものか、というわけだ。「不思議展」は、一応はアカデミズムの皮をかぶっているものの、会場の雰囲気は体の良い見世物小屋のようもである。そんな場所に、自分の骸が並べられるのを快く思う人がいるのだろうかと考えるのは、人情と言うものである。

 そこに法輪功云々の話が生じる余地がある。展示されている標本が生前に献体の意思を示した中国人のものだというのは、一応のところ公にされている。少なくとも中国からやって来た死体だと言うのは間違いなさそうである。とは言え、前述のとおりに不思議展のような、ともすれば人倫に反する扱いをされる死体なのだから、かたぎではないのではないかという疑念はぬぐいがたく、そこで人道的な扱いに配慮する必要のない死刑囚や政治犯の死体を見世物にしているのではないかと言うのが、「『人体の不思議展』の模型=法輪功の死体」の発想である。日本でも起こりうる殺人などの刑法犯(中国でもそのように表現するかどうかは知らないが)ではなく、政治犯を持ち出してくるところに、中国と言うか中国共産党の非道や異常性をより強く訴えようとする集団意思のようなものが働いているのだろう。

 もっとも、法輪功を政治犯とするのには少々語弊があるし、彼らは別に死刑台に送られて正規の手順で処刑されたのではなくて、獄中において取調べに名を借りた拷問処刑のような形で殺された疑いが強い。日本ではほとんど報道されないが、香港辺りに行くと、中国本国から逃れてきた法輪功メンバーが、当局に捕らえられた仲間が加えられた残虐な拷問について言及している場面にもしばしば遭遇する。

 ただし、結局のところ、「人体の不思議展」と法輪功を結ぶ決定的な証拠は存在しない。もともと法輪功に近い中国メディア・大紀元が言い出した話のようだが、こと政治的な話題における「大紀元」の信憑性はかなり低い。にもかかわらず、「『人体の不思議展』で展示されている人体模型は法輪功の死体」といううわさが比較的すんなりと、浅く広く受け入れられているのは、少なからぬ日本人にとって中国とはそういう国だということなのだろう。あるいは、例の毒餃子事件や聖火リレー騒動で日本人の中国に対する印象が急激に悪化したのかもしれないし、それとは別次元で日常レベルで中国人と接する機会が増え、元来外国と接する機会の少なかった国情から異文化に対する不信感が増大しやすい国民性が顕著に現れているのかもしれない。

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