J氏の残したもの

 ここ1ヶ月ほどの間、名古屋も含め、愛知県内に深く静かに浸透していった怪情報があった。「9月13日に岡崎市を巨大地震が襲う」。私の身近なところでは大体の人が知っていた。もちろん、9月16日現在においてそのような事実は無い。岡崎市では、史上まれに見る集中豪雨のために死者まで出る惨事になったのだけれど、地震そのものは発生していないのである。

 決して少なくない人が知っているうわさだったけれど、中にはこのうわさをかなり深刻に受け止めている人もいた。13日が連休に絡む日だったので、その日愛知県周辺にいるのを避けるために旅行を計画している人もいたし、そこまでではないにせよ少なからず不安にかられている人もいた。そしてそういう人たちに、この情報の発信源が「当たるも八卦当たらぬも八卦」の予言をしている預言者だと教えてあげると、落胆とも安堵とも取れない反応が返ってくることもあった。どうやら、「何時、何処で地震がある」という部分のみが先走り、それよりはやや重要度で劣る「誰が発した内容か」と言う情報が脱落してしまったということらしい。そして、あまり広く知れ渡っているために、数の力によってさも信憑性があるかのように見せかけられてしまったのだろう。そういった伝播の経緯の行き着いた先が、愛知脱出を試みるほどに不安を掻き立てられた人の存在だったと思われる。

 おそらく、耳が早く話の出所も分かっていた人たちは、冗談半分で地震の予言を話の種にしたのだろう。しかし、客観的に見てその内容が冗談で済ますにはシリアス過ぎた。そういった背景に通じていない、どちらかと言えば情報弱者の範疇にまで属する人たちまでもが地震のうわさを聞きかじってしまったため、愛知脱出と言う笑えない喜劇のような状況が創出されたように思えてならない。以前別の場所に書いたのだけれど、オルポートとポストマンという流言研究の大家がいて、その古典的な著作「デマの心理学」にこんな公式がある

R=i×a


 RはRumorの頭文字、すなはち流言の流布量、iはimportanceの頭文字、すなはち情報の重要性、そしてaはambiguity、すなはち情報の曖昧さを意味する。重要な情報が不足している時ほど事実無根の流言が広範に拡大する傾向を公式化したものだ。一方、いわゆる都市伝説も流言の一種なのだけれど、これは大して重要でもないのに妙な広がりを見せることがあるので、一般的流言公式の重要性の部分に、話としての面白さを当てはめる考え方がある。座持ちのいい話題ほど良く語られ、広く流布していくと言う理屈だ。最近の愛知県内における地震流言(総体的にはそれほど深刻なものでもない)は、件の公式の重要性・話題性の部分がない交ぜになっていたようにも見える。

 今ひとつまとまりを書く文章だが、ちょっと興味深い現象だったので、備忘のため、ひとまずはここにプールしておく。

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