古典を読む

 今に始まったことではないが、ここのところ「うわごとのとなり」を更新していない。ハローバイバイからこっち、単なるオカルト趣味まで十把ひとからげに「都市伝説」扱いされてしまって、伝統的なというか昔ながらというか、都市伝説の本義を全うするタイプの怪談・世間話を収集した本の出版が激減しているのが大きく影響している。世間では都市伝説ブームと言われ、「都市伝説本」と銘打たれた諸々の書籍が出版されていった反面、本来の都市伝説研究がすっかり下火になってしまった感があるのだから皮肉だ。

 そういうわけで(?)、原点に立ち返ってラフカディオ・ハーンの「怪談」を読んだ。何しろ有名な著作である。これまで、「耳なし芳一」をはじめ、「ろくろ首」「雪おんな」「むじな」など有名どころに触れる機会は幾度となくあった。が、意外にも原著を読むのはこれが初めてのような気がする。今回、(今さらながら)発見したことが二つほどある。「茶碗の中」が「怪談」所収作品ではないと言うことと、この作品中にある多くの物語に種本が存在するということだ。特に後者が重要である。いつの頃からか私は、「怪談」をハーンが直接話者と対面しながら拾い集めた、日本の土俗的な物語の集大成だと思い込んでいた。一方で、この本がハーン夫人の語る昔話をまとめたものだと言う情報も持っていたにもかかわらず、である。焼きが回ったというべきか、ボケが進行しているというべきか。

 当今の、ともすれば単なる猟奇趣味に走りがちなホラー小説とは違い、「怪談」は情趣豊かに日本の昔話を語り紡いでいるのが良い。岩波版を読んだが、訳本のはずなのに流麗な名文が続くのも良い。全体のボリュームはさほどでもないが、なかなか読み応えのある読み物である。しかし、その中で不思議と心を引かれたのが「力ばか」の話だ。いかにも昔話然としたほかの物語と違い、時代背景や舞台設定が定かではないのだが、「わたくし」の主観で物語が進むし、物語の中にマッチと言う単語も出てくるから、何の予備知識も持たずに考えれば、まさしくハーンの体験に基づく物語だと考えるのが自然だろう。しかし、そこはそれ、「怪談」である。当然に不思議の要素も取り込まれていて、伝聞を元に文明開化の明治の世(と思われる時代)に起こった奇妙な出来事が綴られ、物語の帰結するところも日本古来の迷信の類である。

 「力ばか」は今から百数十年も前のお話には違いない。語られる不思議談の屋台骨となっているのはいかにも迷信迷信した非科学的言い伝えに過ぎないのだが、現在都市伝説と呼ばれる怪異談の一部にも、結局非科学的な発想を前提にして成立している物語があるのだから、人間の興味や思考と言うのはつくづく不思議なものである。

 ところで、ハーンと言えば「知られざる日本の面影」も読んでみたいのだが、今まで入手にむけた具体的な動きもせずにここまで来ている。ともすれば忘れてしまいそうなので、ここにひとまずメモ。


新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)
角川書店
ラフカディオ ハーン

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本当に美しい国へいら ...
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