HDの底より甦りし古の駄文

 「うわごとのとなり」はしばらくの間放置状態が続いていた。そこで、最近では久々に中身の整理を行っている。基本的にはディレクトリ構成の変更やリンク切れの修正なので、内容面で目新しいことはないのだけれど、作りかけのまま忘れ去ったままになっていたファイルを見つけた。google adsense向きの都市伝説記事を書こうと考えて作成したものだ。メイントピックは「リカちゃん人形」。メジャー玩具ならば、ユーザーの嗜好に一致した広告が出やすいとでも考えていたのだろう。そういうスケベ根性に裏打ちされた駄文なので、見るに堪えない内容ではあるのだけれど、考えてみればそんな毒にも薬にもならない駄文を世界に公開して早8年と言う体たらくなのだから、不肖の子もアップするだけアップしておこうと思った。

 数年前に茨城の工場で機械が故障して3本足のリカちゃん人形が製造されてしまったという。その人形はいったんは市場に流通したものの、工場関係者の手で回収された。しかし、何体かはいまだに回収されないままだという。

 こうして3本足のリカちゃん人形は産声を上げた。人形だから声はあげまいなどと思うなかれ。後の彼女の生物さながらの活躍を思えば、産声ぐらいは上げられて当然ともいえる。

 ある女性がトイレに入ったとき、個室内にリカちゃん人形が転がっていた。そんな場所に人形が落ちているのを不審に思って拾い上げてみると、その人形には土気色をした3本目の足がついていた。思わず人形を落とすと、そのリカちゃんはリカちゃん電話と同じ声で「私、リカちゃん。でも呪われてるの」と繰り返した。女性は恐怖のあまり、人形を放り出してその場から逃げ出してしまった。しかし、その後もリカちゃん人形の声が耳からはなれず、女性は自分の鼓膜を破ってしまったのだという。

 産声どころではない。「私、リカちゃん。でも呪われてるの」と来ている。とても片言レベルではなく、未就学児童は軽く超えていそうな勢いだ。彼女が発する台詞はリカちゃん電話から来ているのだろうから、公式設定(何歳に設定されていたかは失念)に見合ったレベルの言語能力があるのだろう。このぐらい日本語が堪能な彼女なら、産声を上げることくらい雑作もないのだ。もっとも彼女の場合、年を経るごとに身体を形成する素材が老朽化していくことはあっても、「成長」あるいは「生長」することもないのかもしれない。生まれたときから「私、リカちゃん。でも呪われてるの」などとしゃべれるだけの年齢であり、相応の知能レベルがあるのだとしたら、逆に馬鹿馬鹿しくて「オギャー」などとは言ってられない可能性は十分にある。それをすることで彼女のプライドが著しく傷つけられる事が予想される。

 さて、ここではリカちゃんの履歴に従うかたちで誕生秘話から先に紹介したが、一体この二つの話はどちらが先にあったのだろうか。私が初めてこの話を知ったのはおそらく2000年頃だと思うのだが、その当時すでに、2話は並んで紹介されているような状態だった。それどころか、次のようなタイプの話も並存していた。

 ある女の子が両親の仕事の都合で遠くに引っ越すことになった。その引越しのときに、長年大切にしていたリカちゃん人形を捨てていくことにした。
 引っ越してからしばらく経ったある日、彼女のところに電話がかかってきた。
「もしもし、私リカちゃん。よくも捨ててくれたわね。同じ目にあわせてやるから憶えてなさい」
 最初はただのいたずらと思ったのだが、その後も不気味な電話は続いた。
「もしもし、私リカちゃん。今あなたのいる県についたの。これからあなたのところに向かうから。」
 そして翌日の夕方。
「もしもし、私リカちゃん。今近くの駅についたの。迎えに来てね。待ってるから。」
 女の子は、怖くなってそのまま電話を切ってしまった。その日の深夜、再び電話がかかってきたが女の子は決して受話器をとろうとしなかった。すると、留守電の応答メッセージが始まり、そしてリカちゃん電話と同じあの声が聞こえてきた。
「もしもし、私リカちゃん。ずっと待ってたのに迎えに来てくれなかったわね。でも、お家はもう分かってるのよ。今は・・・お前の後ろだぁ!」


 この話の構成は、「メリーさん電話」と呼ばれる怪談に限りなく近い。「だんだん近づいてくるもの」のモチーフも、怪談の中にはよく見られるものだ。また、おそらくは最後の台詞で大声を出し、聞いている人をびっくり仰天させる話術も両者に共通なのだろう。しかし、この話のリカちゃんは3本足ではない。とりあえずは3本足問題から見てみようと思う。

 リカちゃんの3本目の足をペニスのメタファーと考える向きはある。大きさはともかく、位置に関しては申し分ない。土気色と言う色合いも、決して健康的なイメージではないにせよ肉感的だ。掲示板で教えてくれた方がいて、女性の3本足について説明したサイトのバックアップも取ったのだが、残念ながらデータが飛んでしまった。確か、ウーマンリブ華やかなりし頃には、イラストや写真の女性の股間にペニスを想起させるような「何か」を付け加えるデザインが流行ったというような話だったと思う。もちろん、「強い女」を揶揄ってのことである。ひょっとするとリカちゃん人形もそのような風潮に毒されたか。

 少女が男性器に特別な興味を示すようになるのは、やはり思春期以降のことのようだ。嫌悪感にしろ性的関心にしろ、である。思春期以前は案外無頓着らしい。何かの本で読んだこともあるし、知人女性に聞いたこともある。一般に男よりは女の方が圧倒的に早熟であることには論を待たないし、おそらく、私が青洟をたらして遊んでいたような時期にも、女の子はいろいろ考えていたのだろう。そういう意味では「女の子の思春期以前って具体的にいつ?」という話になってくるとまったく手におえない。漠とした表現だが、思春期は思春期、慣用的な表現ということで話を進めたい。

 さて、性の芽生えを迎えた年頃の女の子の目にリカちゃん人形はどのように映るか。当然のことながら手元に実物はないのでネットで検索してみた。さすがに裸でいる画像は見つからなかったが、衣服着用の状態の画像と、おぼろげながら記憶の片隅に残っている情報を総合すると、リカちゃん人形は完全な幼児体型ではなかったはずである。いくらかは胸のふくらみもあり、くびれもあり、お尻周りも大きかったはずだ。内国産のリカちゃんに対し、外国生まれのバービーだかジェニーだかはさらに大人びた体型をしていると聞いた事があるような気がするが、まあ大同小異であろう。なんだか話がややアブない方向に向かっているような感じもするが、思春期入口頃の女の子がそういうアブない人形を使って遊ぶのだ。やはり性的な妄想も織り交ぜて遊ぶこともあったのだろう。少なくとも前述の知人女性はそうする事があったという。自己申告ではかなりの耳年増でもあったらしいので特殊例かもしれないし、あまり確度の高い情報ではないのだが、そう誰彼かまわず聞いて回れる話でもないのでサンプルデータは1例だけで勘弁願いたい。

 そんなふうにリカちゃん人形で遊んだ彼女らは、低年齢層が単なる異形の話として聞いていた3本足のリカちゃんの怪談に違った意味合いを見出す。3本目の足からはなんとなくペニスが想像され、そうそう無関心でもいられない。そういう好奇心がこの噂の拡大を下支えした気がする。やがて彼女らは性的な妄想ではなく現実を知ることになるのだが、大体の場合、それよりは早い段階において、彼女らはリカちゃん人形も含めた人形遊びを卒業していくのだろう。いわばリカちゃん人形は思春期の思い出とともに捨てられる形になる。

 「トイレに捨てられていたリカちゃん」、「引越しで捨てられたリカちゃん」の2話に関しては、これらの話が独特の不気味さを持っている背景に「人の形をしたもの」を捨てることに対する後ろめたさもあるのではないか。さらに3本足のリカちゃんは、トイレと言う否応なしに下半身を意識せざるを得ない空間に捨てられていたのである。その点に注目すると何やら一層意味深長で、3本足のリカちゃんはトイレに捨てられることこそ本義であって、「茨城の工場で…」という起源説は後付のように見えてくる。もっとも、ちょっとできすぎの感も否めない。それこそアンサーやひきこさんのように作者がいて、ちょっとしたこぼれ話的なうわさになっていた3本足のリカちゃんに、熟考熟慮で後日談を捏造、トイレに捨てられていたリカちゃんの話に派生させた可能性も無きにしも非ずといったところか。

 端的に言ってしまえば、リカちゃん人形は捨ててきた少女時代の表象である。人形はただでさえ人間の情念の集積装置のように考えられる呪物だ。特別迷信深くなはくとも、人形の始末に頭を悩ませると言う人は多い。そこにエロティックな妄念をてんこ盛りに詰め込んですげなく捨ててしまう形になったとして、捨てた側に後日そのことを再認識する機会があったとしたら、かなりヤな感じだろう。「引越しで捨てられたリカちゃん」の話に関して言えば、ペニスのメタファーとは無縁そうなので、人形を捨てる後ろめたさを主体にして形成された話ということになるだろうか。一応、人形遊びに性的関心を仮託していた少女時代との決別と見ることも出来そうではある。そこに、冷静に聞いてみると意外と不気味なあの「リカちゃん電話」の要素が加わり、電話がキーアイテムになる「メリーさん電話」のモチーフが流用される。それらしく解釈するならこんなところか。

 人形の呪物性といえば、最近面白い新聞記事を見つけた。玩具メーカーのバンダイが「プリモプエル」という人形を販売しているそうだ。ついに出た。ともかく、プリモプエルは「おしゃべりぬいぐるみ」と言う触れ込みである。これがかなり売れているらしい。関係ない人にはまったく関係ない世界の話なのだが、その密かなブームの実態は以下のよう。

 玩具メーカーのバンダイが一九九九年に発売以来、昨秋には累計出荷が百万台を突破したプリモプエル。体内センサーによって、二百八十種以上の言葉を使い分ける。価格は七千円程度。バンダイ自身も驚いたのは「若い女性向けに開発したのに、実際の購入の主流は子育てを終えたような中高年女性層」。「一人暮らしの会話相手」「この子(プリモプエル)を一人にするのはかわいそう」と愛好者ら。「七五三」や「旅行」行事も行われ、宣伝文句の「新しい家族」は誇張ではない。
(2005年1月4日付 中日新聞)


 リカちゃん電話を内蔵したかのようなしゃべり方をするリカちゃんよりは数段高度なテクノロジーが使われていそうなこのプリモプエルであるが、人間は結局のところ、従来の人形に求めていたのと同じものをプリモプエルにも求めているようだ。科学や技術が進歩しても、使っている人間の方がいつまでたってもアナクロなままと言うのも不思議なものである。上の記事の主題は少子化人口減の問題であって、引用個所の後、「日本人は将来ロボットを家族や友人などのパートナーにすることになるのではないか」と続いていく。

 この流れで見ていくと、SF作品に登場するロボットの多くが人の形をしているのも伊達ではないのだろう。この分野では常に「なぜロボットは人型なのか」という論争が繰り広げられていそうなイメージがある。一応は「人間が使用する種々の道具や機械は人間が使うように設計されているため、ロボットを人間主体に構築された日常生活に持ち込む以上は彼らにも人間と同じように立ち回れる事が求められ、その合理性を追求していった究極のデザインが人間を模したカタチなのである」というような説明がなされるようだ。これはその気になれば簡単に論破できる程度のものなので、あくまでもタテマエ上の説明に過ぎない。やはり一番大きな理由は、もっと土臭く原初的な人間の欲求によるものなのだろう。「人間は神の似姿」というキリスト教的な観念も思い合わせると、一層興味深い。人形と言うのも片手間で扱うにはあまりにも深遠なテーマなので、このくらいにしておこう。ここでは、プリモプエルを紹介したことにこそ意義があるのだから。

 人形にまつわる怪談を扱ってみたが、今回一番怖かったのは、売らんかな精神に基づいて、任意のキーワードを持ち出すために書かれた文章であっても、それなりの体裁を整えられた点か。女の子の人形が捨てられると言う構図からは「捨てられた女の妄執」という、能の「道成寺」ばりに昔ながらの判じ物的構図を見て取ることも可能で、広告戦略上そうする必要があったならばそういう方向で話を進めていくこともできたのだろう。他にもいろいろな解釈というかこじつけは可能なはずだ。このコラム最大の存在意義はこのことを示した事か。

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