そこにはきっと、尊攘派の怨念がおんねん

画像 来る7月8日、京都池田屋の跡に居酒屋チェーン「はなの舞」が出来るのだそうだ。「2ちゃんねる」のとあるでこの件を知ったのだが、そのスレを見ていて思い出したことがある。池田屋跡にはこれまで、様々な業種の店が建ってきたが、いずれも長続きしないのだと言う。サンプル数が少ないし事実関係もはっきりしないのだが、どうも一部京都人は、そのような認識を持っているらしい。

 所詮は部外者の感想ではあるが、何度か京都をうろついた経験から、京都市内の盛り場と言えば、河原町四条から三条にかけてのエリアなのではないかと思う。池田屋跡は外れに近いとは言えその一隅にあり、立地からして、業種次第では十分に当たりそうな気がするのだが、どうもそうではないという。

 随分前に池田屋跡を訪ねた時、「現在は○○になっている」と言う情報をあてにして迷子になり、最終的には結構離れた交番で道を聞く羽目になったことがある。つまるところ情報が古かったため、目印にしていた店が全く別物に変わっていたことが分かったのだが、そのとき一緒に聞いたところでは、「あそこはもうその頃から二回ぐらい店が変わっている」、「流行りそうな場所なのだけれど不思議と入れ替わりが頻繁」なのだそうだ。

 実際、どれほどの頻度で池田屋跡の店が入れ替わっているのか定かではないが、そのときの警官氏の口ぶりは、今にして思えば、同地の店が流行らないことに関して、何となく因縁めいたものを感じてのものだったのかもしれない。氏も科学万能の時代の公務員である。さすがに祟りだ呪いだと口にはしなかったが、そういう人物をして、ある意味当然とも言える都会の街並みのめまぐるしい変化に、特別な理由を感じさせる何かが、池田屋跡と言うロケーションにはあるのかもしれない。

 こんなものは祟り話というにはあまりにも曖昧模糊としているし、ましてや都市伝説などと言うほどのものでもないのかもしれないが、比較的迷信深いタイプの京都人にはある程度共通する認識のようでもある。血腥い事件のあった場所だが、現在では夜通し明るいような場所だし、犠牲者に対する畏怖の念が、ありがちな亡霊談に転化する道を断たれ、代わりに人々のそういう心性を呼び覚ましているのかもしれない。

 そんな池田屋だが、何の因果か、ここの所私が京都の定宿にしているサウナオーロラの向かいである。もちろん始めて京都を独り歩きした頃にはそんなことは一顧だにしなかったし、まさか自分がそこへ頻繁に泊ることになろうとは思ってもいなかったのだから、人の世の巡り会わせも不思議なものだ。

池田屋跡に「居酒屋」8日開店 新選組ちなみ大階段も

この記事へのコメント

都猫
2010年11月04日 00:57
ここの場所はパチンコ屋ばかりだったと思います。
しょっちゅう看板と名前が変わっていましたね。
ハデハデな場所なので池田屋跡が分からない観光客は多かったです。
京都に住む者としては花の舞いになってほっとしました。
が、ナニか出てそうなキもします。
いつまで持つか分からないので行っておきたいのですが、まだ入ったことはありません。

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