ゴミの値打ち

 この期に及んでスクウェアの旧作ロマサガ2を始めた。バッテリーが未だ生きていたこともそうなのだが、プレイ内容も実にロマンシングな展開を迎えてしまったたため、この10日間ほどは実に非生産的な時間を過ごしている。漫然と術法のレベルを上げるために戦闘を繰り返していたところ、その過程で若かりし日の私がついに極められなかった不動剣と千手観音を閃いてしまったのである。そこで欲をかいて、(高難度)技のコンプリートも目論み始めているのだが、たまにはブログでも書いてみようかと思いPCに向かった。

 最近の宴会の席で知ったのだけれど、「箸袋を集めると車椅子がもらえる」と言ううわさがあるのだという。「プルタブを集めると車椅子がもらえる」という話の亜種であろう。以前書いたとおり、私はこの種の話に対しては懐疑的だ。よしんば事実であったとしても、全く合理的な活動でない点を受け入れがたい。慈善事業をしたいのなら、もっと別の形を考えるべきである。

 さて、箸袋に関するうわさの、もう少し詳しいところはこうだ。まず、収集対象として認めらているのは、店舗名が入った、料理店で出されるような箸袋だけである。市販されている無地の袋であってはならない。どれだけ集めると車椅子に交換できるのかと問われれば、トラック一杯分という気の遠くなるような量が答えである。そしてある意味一番重要な点なのだが、集めた箸袋をどこに持って行けば車椅子と交換してもらえるのかについては分からないのだそうだ。やっぱり変な話である。話者によれば、地元町内会の、奥様連の寄り合いの中で出た話なのだという。

 初めて聞いた時は寡聞にして知らなかったために新手の都市伝説かとも思ったのだが、実は大して新しい話でもないようだ。1995年10月6日放送のNHK「生活ほっとモーニング」ではこのうわさをテーマに特集を組んだようだが、「箸袋 車椅子」といったところでググってみるだけでも、少なくとも3年程前には確実に存在していたと判断できる。さらに、愛知県社会福祉協議会ボランティアセンターという、比較的堅そうな名前の組織のHPでも

以前、「割り箸の袋」を集めて車椅子に交換しようという運動が全国的に展開されたことがありました。マスコミなどを通じて活動が大きくなり、大量に集まった箸袋をやむなく回収してくれた業者があり、何とか車椅子に交換できたようです。しかし、これはごみ減量運動の一環として行ったことで現在は行っていません。紙資源としては、箸袋は材質と印刷がさまざまで再生も難しいようです。


とアナウンスされている。社会福祉の現場でも、このうわさが問題になったのだろう。プルタブの時はまだ金属廃材と言えたが、トラック一杯の箸袋などは、始末に負えない大量のゴミでしかなく、集めた時と同等か、それ以上の手間をかけて廃棄しなければならず、その点ではかなり悪質なうわさであるとも言える。なお、このうわさについてちょっと調べてみたところ、地名では名古屋とか愛知県とかいったところがちらほらと目に付く。愛知県ローカルと言うか、愛知県地方と関連の強いうわさなのかもしれない。

 この種のうわさは、少なくともうわさを走らせている原動力自体は善意であるため、抑止力となる批判意見を封じ込めてしまう危うさがある。冷静に考えれば実に非合理的な話なのだが、それでもある程度の広まりを見せてしまうのは、歯止めの利きにくさに原因があるのだろう。実際、前出の愛知県社会福祉協議会ボランティアセンターHPでは、プルタブ、箸袋に次いで「ゴミを集めて車椅子をもらおう」伝説の系譜に連なるうわさとして、「たばこの開封リボン・銀紙」の事も取り上げている。論調から察するに、こちらの方がより同時代的なうわさなのだろうが、小道具こそ違えどうわさの基本構造は全く変わっておらず、問題の根深さが覗える。社会福祉に関して先導者的立場にあり、一定の発言力を有する団体が、この種のうわさの怪しさを指摘してくれているのは心強いが、ボランティアだの慈善だのを安直に行おうとする日本人の心性が変わらない限り、同種のうわさはいつまでも存在し続けるのだろう。だからと言ってボランティアが変に小難しいものとなってしまうのも好ましくはなく、頭の痛い話である。

 蛇足になるけれど、「ペットボトルのキャップを集めて云々」というのもあり、イオンが実際にキャップを集めていた時期もあったようだが、これなどはキャップそのものに普遍的な価値がるわけではないらしく、集めたキャップを近場の廃物業者に持ち込んでも迷惑がられただけだったと言うような逸話を聞いたことがあり、この種の活動の難しさがあらためて感じられる。

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