山登ってみよう【京都一周トレイル・伏見・深草ルート】

画像 京都一周トレイルは、盆地の町・京都を取り囲む山につけられたハイキングコースだ…と始めるのも久しぶりな気がする。と言うより、二度とこの書き出しを使うことはないだろうと思っていた。京都一周トレイルの歩行は、昨年初夏に西山コースを歩き切って、いちおうの完結は見ている。京北コース、あとは自己満足でしかない「南平地コース」もいつかやろうと思ってはいるが、いずれも真正の一周トレイルとは言い難い。しかし私の踏破から少し後の2015年10月に、東山コースからひげ根のような、伏見・深草ルートが延びた。ならば、歩かざるを得ないではないか。

 伏見・深草ルートの総延長は短い。京阪伏見桃山駅に始まり、伏見稲荷の奥社まで続くコースで、公式には9.5㎞の道のりとされている。東山コースの時に、東山三十六峰について言及したことがあったが、これは一般に伏見稲荷のある稲荷山から比叡山の間にある峰々とされる。伏見・深草ルートは、稲荷山よりさらに南にあり、要するに東山三十六峰の仲間に入れてもらえない。だからかどうか、このコース上にある指導標のナンバリングは、東山コースに見られた数字のみの連番ではなく、Fを頭文字にしている。「深草」のFか、「伏見」のFか。それは定かではない。私にとっては「復活」のFみたいなもんである。

 まったくの平坦地とは思えないが、10㎞弱のコースだとすると、歩行時間は2時間半といった所だろうか。朝一番から家を発つと時間を持て余すことになりそうだ。翌日は京都の紅葉狩りとしゃれ込みたいので、今日は京都泊まりの予定にしている。午前9時に名古屋を出て、12時直前に近鉄の伏見御陵前駅に着いた。京都の人なら京阪の駅には足を運びやすいのかもしれないが、名古屋からだと、京都駅で地下鉄に乗り換えて竹田駅まで行き、相互乗り入れ状態となっている近鉄に乗り継いだ方が楽だ。

画像 遅いスタートでも時間が余りそうなので、伏見エリアの観光をする。酒造の地として有名な伏見なので、昔ながらの町並みが残っているのかと思いきや、町並みは昭和の下町みたいである。少なくとも、結構規模の大きなアーケードがあるあたり、ちょっと近世・近代の感じではない。そんな街区を少し外れたところに、年季ものの酒蔵が建っており、坂本竜馬が滞在した寺田屋が残っている。暗殺されたのは近江屋の方で、これは現在の京都の繁華街と言っても良いだろう河原町三条と四条の間あたりに坂本竜馬遭難の地として石碑が残っているだけである。

画像 とは言え、竜馬にそんなに興味はないので、20分ほど時間を潰した後、12:16に伏見桃山駅まで移動した。東山コース本線のスタート地点である伏見稲荷駅とも、西山コースのゴール地点である上桂駅とも違う、いかにも大都市郊外の駅と言った雰囲気の場所だ。トレイルコースの雰囲気も希薄だが、N0.1指導標を見つけることはできた。道はここから、御香宮神社の前を横切り、伏見桃山城へと進んで行く。実は伏見・深草ルートで目ぼしいランドマークと言うと、この二か所と伏見稲荷しかない。しかもすべて既訪なので、今日はどうしても胸躍る感がない。ちなみに、御香宮神社の名は、芳香のする湧水のあったことに由来するのだそうだ。薫る水と言うのが実在するのかどうかは定かではないが、その種の伝説は時折聞かれる。それに、伏見で酒造が栄えた事実からして、良質の湧水に恵まれたことは確かなのだろう。

画像 伏見桃山城は、伏見と山科の間に横たわる丘陵の一画にある。近くには明治天皇陵や桓武天皇陵があり、宮内庁の管理地となっている範囲が広い。無論、天皇家の陵墓がある場所なので、ありのままに自然が保たれているという場所ではないが、文字通り聖域化されているので、周辺は概ね野放図な開発を免れている。もっとも、問題の伏見桃山城は、もともと伏見桃山城キャッスルランドと言う遊園地の中に築かれた模擬天守である。歴史上実在した豊臣秀吉の伏見城を再現したものではない。遊園地は閉鎖されたが、ランドマークとして残されていると言ったものに過ぎず、言ってみれば「ディズニーランドが閉鎖されても、シンデレラ城は保存している」というのと変わらない。史学的な価値はない。と言いながら、「お城スコープ」ではしっかり、この伏見桃山城を伏見城のイメージとして借用している。周辺土地の性格からして、発掘調査は容易ではなく、一般人が立ち入れる区域も限られており、伏見城として見るべきものがほとんどない状態だからだ。京都一周トレイルは、この城の直下を通る。ただし、模擬天守の中に入ることはできない。

画像 ちなみに、JR桃山駅の傍らを通過した後、最短距離で伏見桃山陵のこんもりとした森の中に入って行くかに思いきや、味気ない舗装道路の方に、若干の回り道をしていく。コース設定の意図としては、乃木神社の方に誘導しようとしているのかもしれない。陸軍大将も務めた乃木希典は、明治天皇に殉死したことでも良く知られている。私は、乃木神社には立ち寄らなかった。直角に曲がった後は、ようやく天皇家の陵墓の一部を形作る森の中に進入し、そこも抜けて伏見桃山城運動公園に入った。序盤、あてにしていた指導標が思ったより少なかったのに当惑し、若干歩調が乱れた。今日の道のり、長いとは思えないが、伏見桃山城はすでに来たことがあるのでそそくさと通過。となると、あとは単なる公園でしかない。紅葉する木が植えられているので、秋めいてはいるけれど、近所の公園を歩いているのと何ら変わりはない。そしてその公園を抜けた先は、普通の住宅地だった。高台にはなっていて、見晴らしが効く。宅地化が進んだ中の生活道路みたいなところに「八科峠」の碑が建っているので不思議な感じがする。醍醐方面が見えているのかと思っていたが、道の角度から行って、宇治市の北端部が見えていたのかもしれない。

画像 ここから、大岩展望所を目指す。足元は大半、舗装されていて山道とは言い難いが、竹林の中の、わりとはっきりした坂道だ。今日のコースの最高所に通じる道だけあって、軽く汗がにじむほどの道のりではあるけれど、歩く距離が知れている。間もなく、くだんの展望所に到着した。時刻は13:35。名前から、ちゃんとした展望所のようなものを想像していたが、丘の斜面の一番高い辺りが切り開きになっていて、ベンチが置かれているような場所だ。何となく、東山コースのずっと先にある大文字山の展望所を思い出すが、それよりはずっと簡素な印象も受ける。外観はかくのごとしなのだけれど、この展望所ができるまでは色々あったようだ。この一帯、都市部に隣接する里山であることからごみの不法投棄などが多く、実際道すがらにそうした警告看板も出ていたが、京都市などが環境浄化に努めており、自然豊かなハイキングコースの象徴としての意味も込みで、展望所が作られたようだ。眺めは、良い。向かって右手、北はギリギリ愛宕山が見える程度。そこから西山の連なりが始まり、いつか登ったポンポン山が見え、いちおうは大阪の市街地まで続く低平地を見渡せる。

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画像 この先、道は大岩街道と言うのを辿るらしい。はじめて知ったが、東海道五十七次と言うのがあって、五十三次のうち大津宿の先から分岐しているのだそうだ。京都三条大橋を目指すのではなく、山科、醍醐から伏見へ抜けて大阪に至る街道なのだそうだ。大岩街道はその一部で、稲荷山と大岩山の間を通っていたのだという。展望所から先、道はさびしげな地道となって下って行った。神社の参道みたいなところだ。なお、深草と言うのは伏見桃山城と稲荷山の間に位置する大岩山前後の地域のことを指すらしい。小野小町の伝説に深草少将と言う人が出てくるが、小町が暮らしていたされる山科側の小野との距離は存外に近い。

画像 多分、大岩街道は現在の名神高速道路付近を通っていたのだと思われる。丘陵地であるが故か、一帯は里山の気配を残しているが、基本的には政令指定都市の郊外なので、市街化が進んでいる。寂しい山道を下りきった後は、そうした住宅地の中を縫いながら、稲荷山の南麓へ。ただ、道はここから稲荷山の山頂を目指すわけではない。次第に民家が姿を消し、竹林の中に進んで行くことにはなるが、山道らしい山道はなく、高度感もないまま伏見稲荷大社の裏参道につながった。私と同じ向きに歩く人は稀なようだが、逆に伏見稲荷側からやって来る観光客も少なくはなく、外国人の姿が目立つ辺りは、いかにも伏見稲荷らしい。

画像 14:48、伏見・深草ルート最後の指導標であるF35指導標にたどり着いた。ここは、東山コース本線との合流点となっていて、有名な千本鳥居のさらに奥、奥社参拝所より少し山頂寄りの場所に当たる。とは言え、夥しい人の往来があり、もはやハイキングペースでは歩けない。ごくのんびりとした、渋滞ペースで神社の境内を出るまで歩いた。

 伏見・深草ルートは、伏見稲荷駅まで歩いて終わりとなるらしい。ただ、既に歩いたことのある区間だ。最後まで付き合わない。代わりに、いつか東山コースを起点から終点まで、1日で歩こうという野望が萌してくる。もともとはそのつもりで歩きだした東山コースだったが、諸々の都合で、3回に分けて歩くことになった。合計で8時間ほどをかけているので短い道のりではないし、最後は比叡山に登ることになるので楽だとも思えないが、来年の夏山シーズンの先触れとして、春の時期に登ってみると良いかもしれない。

 さて、当初懸念していた通り、夜までの時間を持て余すことになってしまった。そこでやっぱり元の予定通り、円山公園まで歩いてみることにした。歩くまち京都と言うし、バスや鉄道ばかりに頼るのは無粋というものだ。何か面白い発見だってあるかもしれない。そう思った。この道沿いには、かの東福寺がある。紅葉シーズンと言うこともあってか、伏見稲荷から東福寺まで歩こうとする人も少なくはないらしい。あまり広くもないこの道に、点々と人の流れが続いている。やがて東大路通に入り、清水坂に進んだところで、この時期の京都の修羅を垣間見た。人だらけである。帰省時期の高速道路でもあるまいが、人の流れは滞り、産寧坂に進んだ辺りで、流れは止まりがちになった。言うほど遠くはない道のりだが、悪戦苦闘しながら円山公園にたどり着いた時、時刻はすでに17時近くなっていた。珍ポケモンを目当てにここまで来たのは良かったけれど、大した釣果はなかった。代わりと言っては何だが、その後足を延ばした河原町付近でメタモンを2匹捕まえた。

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