寺巡ってみよう【知多四国八十八箇所・68番~79番】(前編)

 年が改まった。初もうでには一応行ったのだけれど、不思議なもので、1月の間くらいはいつもより一層、寺院の空気に触れてみたくなる。京都なんかの著名な古刹に行くのも良いけれど、と言うか行く予定があるのだけれど、手近でその気分を味わうのにうってつけのものがある。知多四国である。もともと、冬場で山に足を運びにくい時期の手すさびにと始めたものだし、そういう意味でもこの時期に歩くのにちょうどいい。

 知多半島の先端を周回し、ゴールが見えてきたこの旅。つまり、1日の行程のスタート地点はどんどん自宅から近い場所へと移ろっている。そんな油断もあって朝方グダグダしていたら、出発が遅れ、さらに電車の乗り継ぎにもいまいち恵まれず、前回の中断ポイントとなった名鉄大野町駅に降り立ったのは10:43のことだった。本音のところは、もう1時間ほど早く歩き始めるつもりでいたのだけれど、ちょっと出足で躓いたかなと言う気もする。もっとも、今日の歩行のゴール地点も今一つはっきり見えていない。計算上、全霊場を歩きぬいて、知多四国の結願寺扱いとなっている八事興正寺まで歩いたとしても30㎞余りの道のりとなるはずだ。無論、30㎞を歩こうとすれば6時間は見ておく必要があるし、各寺でもそれなりの時間を取られることになるので、それらもろもろを見込むと11時直前のスタートでは遅いということになるが、頑張れば日が落ちきる前にゴールすることができる、とも言える。どちらかと言えば、今日一日だけで約20の霊場を踏破することが、果たして好ましいことなのかそうでないのかと言うところだ。

 いろいろ考えは巡るが、とにかく今日の行程をスタートする。一番最初の68番霊場は、前回のラストで目撃した通り、大野町駅から目と鼻の先のような距離にある。

第68番 宝蔵寺(10:48) 大野町駅より0.3㎞
画像 今日最初の霊場となる宝蔵寺は、実をいうと常滑市内最後の霊場である。当然と言えば当然なのかもしれないが、知多半島でも先端近い町村部(と言ってもこの半島に村は存在しないが)のお寺は、無住の小さなものが多かったのだけれど、宝蔵寺は一応市部の、無人駅とは言え駅前と言ってもよさそうな町中にあるので、たぶんお坊さんとその家族が住んでいそうな雰囲気がある。少なくとも寺務所があり、寺住まいの家の人が、御朱印だ納経だと参拝者の面倒を見ていそうな感じがした。
 しかし私の知多四国歩きは、そういったものとは無縁の、単なるウォーキングみたいなものなので、寺務所の人が気にかけていてくれそうな雰囲気を感じるにつけ、居心地の悪さを感じてしまう。しかしまあ、気持ちがないわけではないのでお参りは済ませておく。どうか、今日も無事に歩きぬくことができますように、と。ちなみに、火伏に霊験のあるお寺なのだそうだ。



第69番 慈光寺(10:55) 宝蔵寺より0.4㎞
画像 慈光寺は、これまた宝蔵寺からさほども離れていないところにあった。今日のコースの特徴なのだけれど、寺間距離が短い。その上一部には一山に複数の寺院がある、換言すればいくつかのお寺が密集して建っているところもあるので、歩行距離のわりに霊場の数が多くなっている。「寺メモ!テンプルメモリーズ!」リリースの暁には、高速ステージになりそうな要件は満たしているのだなあなどとくだらないことを考えているうちにたどり着いたが、お寺の前にあるたぶん駐車場として使われるのだろう空き地がやたらに広いのが印象的だった。もちろん、境内もそれ相応に広く、立派なお寺であることは間違いない。そしてやっぱり、ここもお寺の人の気配があった。たぶん、巡拝者がやってくるたび、御朱印とかの対応することになるため、常に来訪者に意識を向けているのだろう。頭が下がる思いである。そして、そういうのをやらない自分がとんだお騒がせ来訪者に思え、小さくなりながらお参りした。



 慈光寺から地蔵寺までの区間では、高台にある城郭風の建物が目に付いた。天守閣…と言うにはずいぶん小ぶりな、櫓を模した建物だろう。前回歩行の記事の時に触れたこの辺りの領主・佐治氏にゆかりのある大草城の跡が公園として整備されており、その関係でそのようなものがあるらしい。ただ、もともとが未完に終わった城らしく、往時の城に天守はおろか立派な櫓があったとも思えない。縄張りは良く保存されているといったレベルの物らしい。寄って行こうかどうか少し悩んだが、今回は見送った。

第70番 地蔵寺(11:07) 慈光寺より0.8㎞
画像 地蔵寺は、それまでの二か寺に比べると幾分か古い時代の面影を残す家並みの一画にあった。大草城跡のすぐ北東方向に位置しており、一つ展開を違えれば城下町の中のお寺として今に至っていたのかもしれない。寺の歴史は古いと伝えられ、伝承では行基による開基などと言う話もあるようだが、確実なところでは鎌倉時代頃に再興されたとされているようだ。江戸時代には、近所に住むお竹さんという盲目のおばあさんがこのお寺の霊験により光を取り戻した、なんて言う話も伝えられているらしい。
 今のお寺の境内では、そうした伝説を直感的に伝える事物は特に目に着かないのだけれど、ここも比較的大きなお寺だった。そして、その境内に植えられた梅と思しき木には、そろそろ花がほころび始めていた。お竹さんに梅の花と来たら後は松なのだが、境内には特に見当たらなかった。



 地蔵寺を出てから次の大智院までに進む間に、軽く道に迷ってしまった。半島でも先端部に近い片田舎と違い、この辺りは霊場間が一本道か、それに近い状態とはなっていない。この旅の最初の頃は、地図を見ながら悪戦苦闘しつつ進んでいたことを思い出す。ゴールが近づくにつれ、そのころの歩き方を思い出さないと、つまらないロスが多くなってしまうかもしれない。幸い、大きくコースを外したわけでもないので、回り道は時間にして10分程度で済んだ。

第71番 大智院(11:36) 地蔵寺より1.4㎞
画像 大智院がどういうお寺なのか、あまり予備知識を持たない状態での訪問になった。一つ頭の片隅にあった情報は、ここにも盲目のおじいさんが信心により回復したという説話が残っており、「めがね弘法」として知られている。そして、境内では目薬が売られているということだった。それにしても意表を突かれたのは、その山門部分に葵の紋の幔幕が掛けられていたことだった。後になって調べてみても、なぜ葵の紋だったのかはよくわからなかった。特別徳川家と縁が深いというわけでもなさそうだ。
 ここも、お寺住まいの人の気配が強く感じられる。目薬を売る「薬房」もあるほどなのだから人がいて当然なのかもしれないが、例によってお騒がせになることを恐れ、そそくさと立ち去った。



つづく

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