8年目の春に・その7

 11:09、五能線の旅本編が始まった。すでに触れた通り、途中で乗り継ぎ待ちのために2時間近い待ちが生じるのも併せて、この路線の終着である東能代駅に着くのは16:19のこととなる。何百kmと移動するわけでもないのに全線走破に一日仕事に近い時間を取られるのは、知ってる限りでは飯田線に近いものがあるのだけれど、飯田線ほど駅間距離が短く駅数が多いわけでもないのに長時間を要するのは、五能線の恐るべきところなのだろう。

画像 五所川原の駅を出、市街地を抜けると車窓から見えるのは一面の田畑ばかりとなる。しばらく走って、しばしばその名を耳にする鯵ヶ沢駅まで進むと、周囲の様子は少し変わってくる。いったいなぜ鯵ヶ沢の名が全国区のニュースなどで取り上げられるのかはよくわからないが、列車の窓から見える限りだと、この辺りではかなり都会的な部類に入るのかなという印象である。鯵ヶ沢駅の少し手前からすでに海は見えていたのだが、この駅を過ぎると、本格的に海岸区間が始まる。同じ海沿い区間と言っても、一昨日に走った三陸沿岸とはやはり大分風景が異なる。そもそも三陸の海に近いところは巨大な防潮堤で海が見えないというような有様となっていたが、ここ五能線沿線は、海が近いところだと本当に波打ち際みたいなところを走るようになっていることがある。さすがに波打ち際は言いすぎだとしても、高潮の時や冬場の波が荒い時などは、列車が波をかぶりそうに思えるところもあるし、普段でもかなり濃い潮風にさらされて、鉄道にとっては少なからず過酷な環境なのかもしれない。今は、長閑さを感じさせる春の海である。一方、震災以降、日本各地で盛んにその脅威が語られるようになった津波に対するノーガードぶりは、ついこの間三陸を目の当たりにした身には違和感を覚える。実際のところ、その脅威とまったく無縁ということはないのだろうが、蓋然性の差で、三陸ほど差し迫った津波被害の危険がないのだろうとは思う。

 海より山派の私ではあるけれど、鉄道から眺める景観としてはやはり海の方が様になるのかもしれない。山を間近に見ると言うと山壁というか岩壁を間近に見る狭隘区間となりがちだし、大糸線の安曇野区間みたいなのは悪くはないが、やはり少し離れた平地から山を見る感じになるので、どっぷり山に没入するというわけにはいかない。山と言えば8j、中央アルプス宝剣岳にあるのと同じ、千畳敷の名を持つ磯が道中にあり、そのままの名前の千畳敷駅もあった。なるほど、これも確かに千畳敷というのに違いはなかった。

画像 12:48、深浦駅に到着。全国区で名を知られた駅というわけではないが、五能線前線のちょうど中ほど辺りに位置することもあってか、この路線に属する駅の中では割と重要な駅に位置付けられているらしい。卵が先か鶏が先かみたいな話だが、多くの場合、この駅で列車の乗り継ぎが発生するようだ。今回の場合、東能代行きの列車が駅wp出るのは14:32。周辺にめぼしい観光スポットはないようだが、時間帯から言ってまず、昼飯を食べるということは考えられる。昨日、青森で海鮮を食べずに終わったこともあり、気分はシーフードである。ちょうどここ深浦は、海辺の町である。もっとも、ちょっと見た感じだと辺りは漁港の雰囲気ではなく、歴史的には北前船の風待ち港として栄えた過去を持つのだそうだ。町並みは、五能線と並行する国道101号に沿って広がっている。五能線より山側は、海岸段丘上の高台となっておりどうも狭小な感じのする街並みである。食べ物屋は、探せば少しくらいはありそうな感じだが、手っ取り早く最初に目についた焼肉&カラオケの看板を掲げる店に入った。シーフードではないけれど、どうも海を見ながら食事ができるとかいううわさを聞きつけ、そういう選択になった。一応、丼ものが自慢で、焼肉が本業のようなので、ランチメニューでラーメンと焼肉丼のセットを頼んだ。いよいよもって海鮮とは縁遠いが、ラーメンからはほのかに魚介系の香りが感じられたような気がした。海を眺めながら、魚介だしが利いているような気がするラーメンを食べる。海は、波こそ穏やかだが、日本海だなあという感じがする。スタイリッシュとはまた違う。コーヒーでもすすりながら永井ができそうなスタイルの店ならそれも良かったかもしれないが、どうもそう言う感じの店ではなさそうだったので、食事が終わったら早々に店を出ることにした。

画像 海辺の田舎町の国道を歩く。そして気づく。なんか、いかにも海鮮を出していそうな店があるではないか。欲を言えば、海鮮丼的なものを食べたかったし、店の構えも名前も洋風なのは気になるが、店の前にはためく幟には「深浦マグロあります マグロ刺身御膳 マグロ丼御膳」と染め上げられている。青森でマグロというと大間が有名だが、深浦マグロ。そういうのもあるのか。先ほどの昼食前にもおやつをぱくついていたこともあって、今さらマグロ何某を食べる余裕はない。名残惜しいが、深浦マグロとはお別れをし、近くにあった深浦町歴史民俗資料館に立ち寄ってみた。規模の小さな町によくある、古民具を展示している感じの施設だったけれど、全体に地域色には乏しく感じた。古民具というより、古道具が並んでいるといった雰囲気だ。館内ではそれらのほかに、多分地元の素人~半プロクラスの作品を展示する美術館的なものもあったが、総じて観光客向けの施設というより、地元向けの文化施設といったところなのかもしれない。その後、海辺をふらふらしたりしながら時間をつぶす。食事のおかげで良い感じに時間を消費したせいもあって、思ったほどには手持無沙汰にはならずに済んだ。

 そして14:32、深浦駅を出発。この後は、終点の東能代駅まで乗り換えなしで進める。五能線は、なお海辺の線路をとコトコと駆けていくが、心なしか、深浦駅以前ほど波打ち際に近いところを走ることはないような気がする。海岸段丘の上に上がってみたり、線路と海の間が樹林で隔てられたりしている箇所も多く、このくらいの路線なら日本のほかの地にもありそうな気はする。だからというわけではないが、だんだん眠気が増してきて、ついうとうとしてしまった。ウェスパ椿山駅までは起きていたのだが、陸奥沢辺駅を完全に寝過ごしてしまった。アイテムで回収する。レーダーを無駄にしてしまった。Vガンダムに出てきそうな語感のウェスパ椿山駅だが、近在の宿泊施設の名前をそのまま駅名にしているらしい。ガーラ湯沢と通じるものがある。

 心なしか海との距離感が生まれていくように感じられる五能線だけれど、それとは対照的に、山、というか山岳リゾートが近づいてくるようである。十二湖駅を通り過ぎた近辺からは白神岳の山すそに当たり、駅も白神登山口といった具合に、山側の観光地・景勝地をその名に拝借したところがちらほら見当たる。もっとも、車窓風景はさほどに自然遺産のお膝元を感じさせるようなものとはならない。右手に牧歌的な農村地帯見えるが、左手はというと、うっそうと茂る木々が見える区間が長く、端正な立ち姿の山が見える…というようなこともない。やがて、海と林とに挟まれた区間からある程度広い平地のエリアに出ると、終点の東能代は近い。能代市の中心駅はあくまで能代駅で、駅周辺もある程度大きな町となっているが、列車はそこを通過し、もう一つ先の東能代駅に入線した。たぶん、もともと周辺の市街地化が進んでいた能代を二つの路線が接続するターミナルとして整備しづらい事情があったのだろう。東能代の駅前にも住宅地は広がっているが、明らかに町はずれの感じがする。というか私は昔、この駅に降り立ったことがある。駅の南東の山中に築かれた檜山城の跡を見学するための下車だった。駅から歩くにはかなり距離があったので、駅前でタクシーを拾ったのだけれど、この辺りの町にはさほど奥行きがない印象をもった記憶はある。ちなみに檜山は北限の茶で知られるが、納豆も名産らしい。お茶はともかく納豆には興味を惹かれるが、今回もそれを賞味する機会はなかった。

 檜山駅で乗り換え、奥羽本線に乗り換え。いまいちつかみどころのない、茫洋とした平地を眺めながら南進する。途中、八郎潟駅に差し掛かったことで気が付く。今目にしているだだっ広い水田地帯は、社会科の教科書にも出てきた八郎潟干拓地らしい。一大事業だった八郎潟の干拓は、その完成までに長い時間を費やし、その間に日本の社会構造が大きく変化したため、当初期待されたほどに重要な意味を持つ事業とはならず、あまつさえ減反政策の開始という展開も見たため、干拓自体は成っても、手放しで大成功と評価されることは少ないように思う。そういう目で見ると、だだっ広い水田地帯は何の役に立ったのだろうという気もしてくる。往時の八郎潟は、国内では琵琶湖に着く規模を誇る湖だったのだそうだ。

 今日の宿は秋田市内に押さえている。これで日本全国四十七都道府県のすべてに宿泊という対岸が成就される運びなのだが、一気に秋田までは進まず、途中にある追分駅で下車。いかにも交通の結束点になってそうな名前の駅だが、ここは奥羽本線と男鹿線の乗換駅となっている。時刻はすでに17時を回っている。ここからどこかを観光するにはいささか遅い時間帯である。増して都市部ならいざ知らず、男鹿とはナマハゲで有名な男鹿である。どちらかというと土俗の香りがする地域。夜ともなればひたすら暗いことは想像に難くない。この地域では脇本城を一度見学したいとは思っているのだが、今回はただ男鹿駅まで行って帰るだけの道のりとなる。追分駅ではまたしても長めの待ち時間ができたが、たまたま駅前で伝説レイドが発生し、乗り換え列車の出発直前ではあったが、地元高校生たちの協力によりディアルガを捕まえることができた。というか、都市部でなくても伝説レイドが成立したのが意外だった。

画像 真っ暗闇の中を進み、男鹿駅に到着。時間にして40分ほどの旅路だっただろうか。男鹿駅はわりと近年になって改装したらしく、ナマハゲをモチーフとしたデザインのこじゃれた駅舎が建っていた。暗がりの中に昔の駅舎らしきものがあって、現在は男鹿市の観光協会として使用されているようだった。古い駅舎は残しつつ、新しい駅舎が建ったということになるが、二つの駅舎が共存する形になった結果、新駅舎は盲腸線の終着駅らしく、線路の先に駅舎が建つ構造となっていた。大きくはない駅舎だったけれど、北国の駅らしく空調の効いた待合室があり、中にはやっぱりナマハゲが展示されていた。

 男鹿駅まで来たら、後は10分余りの待ち時間で秋田方面に折り返すことになるのだが、発車が間近にならないと改札は行わない扱いとなっているらしく、しばらくこの待合室で時間をつぶすことになった。部屋の中にはテレビがあり、NHKのニュースが流れていたが、アナウンサーは気になることを告げていた。明日は、関東から東北にかけて大荒れの天候になるらしく、暴風への警戒が必要になるという。春の嵐が近づいていた。

つづく

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  • 8年目の春に・その6

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