令和最初の九州旅・その5

 博多駅から、新幹線ひかり号に乗ったが、虚を突かれた思いがした。10連休もそろそろ終わりが見えてきて、我を見失って九州まで長めの旅行にやって来た勢も、そろそろ帰るべき我が家を目指し、大挙して東に向かう新幹線に乗り込むものと思っていたのに、そんなこともない。ひかりの自由席車両はのぞみのそれより多めに編成されているとはいえ、それにしても余裕で座れる。はっきり言ってガラガラである。博多はのぞみの始発駅なので、遠方に帰ろうとする人たちはのぞみの自由席狙いでも分の悪い勝負にはならないし、よほど石橋をたたいて行くタチでなければ、誰だってそうする。私だってそうする。

 にもかかわらず、今回の私がのぞみではなくひかりをチョイスしているのには、訳がある。九州旅行の計画が組みあがって少しした頃、妙に広島に行きたくなった。4月も下旬に差し掛かったころのことだったので、当初は止まる宿すらままならない状態だったのだが、たまたま、広島旅ではいつも世話になるグランドサウナの空き部屋を押さえることができてしまった。一度は満室になっていたはずなので、キャンセルが出たのだと思う。とにかく、広島に足場を確保することができたので、九州旅を終えてもそのまま直帰はしないことにした。

 ただ、一応広島泊まりの方針が確定的であったとしても、もう少し九州に留まるという選択肢は考えられた。今度の旅で、長崎、佐賀の完全制覇は達成され、福岡の終わりも見えてきた。というか、残った駅は、筑豊本線の勝野~原田、後藤寺線全線、福北ゆたか線の桂川~長者原までの区間に属する駅だけとなっている。こういう書き方をすると分かりづらいけれど、福岡市西方で十字状にクロスする路線群である。駅数にして残り17駅。何となく僻地のローカル線という感じではなさそうだし、またアイテムを併用すれば今日中の福岡制覇も可能なのではないかと思われたが、それでも九州の地を後にしたのは二つの理由があった。一つは、ここで福岡を押さえたとしても結局大分と熊本に未取得駅が残っていること。豊肥本線の大分~波野、同じく豊肥本線の令和最初に取り損ねた平成をはじめとする熊本市内の駅、肥薩線の多くの駅、くま川鉄道に熊本電鉄がそれである。これらの回収のため、どうせもう一度は駅目的で九州にやってくるので、福岡はそのタイミングで良いだろうという判断。そしてもう一つは、これから向かう広島県の手前、山口県の東部にある厄介な路線錦川清流線の存在にあった。

 山口県コンプリートを目指す上では、あと美祢線と錦川清流線を押さえる必要があるのだが、後者はアイテムを使っても普通ではコンプリート出来ない。一応、岩国駅だとか新岩国駅辺りから乗り換えることはできるのだが、かなり内陸部に入り込んでいる関係で、JR路線からだと奥地の駅までどうやってもレーダー射程が足りない。というか終着駅である錦町駅は、たぶん反対側に当たる山口線方面からのレーダーでも、射程距離圏外となる。あとは中国自動車道側からならレーダーが届きそうではあるけれど、中国自動車道を走ることなど金輪際ないのではないか。名古屋発九州行き夜行バスがあるいは通るのかもしれないが、普通に考えるとそういったバスが走るのは山陽自動車道である。よしんば中国自動車道を走っていたとして、錦川清流線に最接近するタイミングで起きているのは現実的ではない。というわけで、この路線をいかにして制覇するかが懸案となっていたのだけれど、九州から広島に移動する行きがけの駄賃に乗り込むことはできるのではないか。そう考えたのだった。調べてみると、若干乗り継ぎ待ちの時間は長めだけれど、錦町まで寄り道しても、広島駅に着くのは20時半少し前という常識的な時間に落ち着くことが分かった。どうせなら、途中駅で折り返す前提で残りの駅はレーダーで取るというのも考えたのだけれど、折り返しが可能な最後の途中駅、どうやら北河内駅というらしいが、そこまで進んでも錦町駅まではレーダー射程が足りなさそうなので、おとなしくこのマイナー路線に付き合うことにしたのだった。

画像 新岩国駅で新幹線を降りる。生涯でもう一度この駅に降り立つことがあるのだろうかと思わずにはいられないほど、普通なら用事が思い当たらない駅である。岩国と言えば錦帯橋だ岩国城だといった観光地はあるが、いずれも新岩国駅が最寄り駅だとは言い難い。一応、新岩国駅からそちら方面への路線バスも出ているが、新岩国駅は古くからの岩国の町からは半ば隔絶されたような山陰に設置されており、利便性その他を総合的に勘案すると、広島駅でのぞみを降り、在来線で岩国駅辺りまで進むアクセスルートの方が現実味がある。というか、錦帯橋も岩国城もすでに見物したことはあるので、なかなか岩国自体に用事もない。

 錦川清流線の駅は、新岩国駅の南方200mほどのところにあり、清流新岩国駅という。漢字五文字のなんだか仰々しい駅名だけれど、清流はたぶん路線名を表し、新岩国は近在する二つの新岩国駅のうちの一つ程度の意味なのだろう。要するに名鉄名古屋とか近鉄名古屋と同じノリの駅名なのだと思う。ただ、駅の規模は簡素ながら新幹線駅である無印新岩国駅とは雲泥の差といったところで、清流新岩国駅は小さな無人駅なのだった。小さなホームには、貨車の一部を転用したと思しき待合室があるが、それ以外には特に何もない。この待合室の入口には御庄駅という駅名が掲げられていたが、清流新岩国という駅名にはそんなに歴史がなく、平成25年の春に現在の名前になったものらしい。御庄駅とは昔の名前である。

画像 駅の様子を探っていると、鉄道使いのオーラを立ち上らせた男たちが、数人ばかりホームに屯しているのが見えたが、彼らは皆、やがて岩国駅方面に向かう列車に乗って姿を消してしまった。後には、がらんとした無人のホームが残った。所在なく、ホーム上をうろうろする。ふと視線を下の方に向けると、「駅・車内におけるスマートフォンの位置情報を活用したゲームアプリ等」の利用はNGという意味の注意書きがあった。まさに駅メモ狙い撃ちのような注意書きだ。駅メモはわりと殺伐としたゲームなので、そのあたりが問題になったか。あまりに何もないホームで暇を持て余すようになってきたので、新幹線の新岩国駅の方に戻りつつ、とりあえず駅の外から清流新岩国駅を取った。そしてJR新岩国駅で時間をつぶした。こちらも何もない駅ではあるけれど、それでもセブンイレブンが入っている。そのなんと素晴らしいことかと、コンビニのありがたさを再認識した。特に何か買い物したわけでもないけれど。

 やがて、約1時間の待ち時間の後、錦町に向かう列車がやって来た。オオサンショウウオか何かの絵をあしらった、いかにも清流っぽいデザインの列車である。乗客層は謎めいている。見るからに沿線住民という乗客もいるが、家族がいるのかいないのか、余暇を沿線の山里で過ごしに来ましたという風に見えなくもない中年男もいる。この中年男が、本当に観光目的だったのかどうかは定かではないが、清流の名を冠するだけあって、車窓から見える風景は悪くはなく、癒しがある。一般にはド田舎とか秘境駅とかのイメージが先行するらしい錦川清流線沿線だけれど、特に駅周辺を中心にして、意外と多くの民家が立ち並んでいて、その多くの窓に明かりが灯っている辺り、生活感も濃密に漂っている。過疎地とか限界集落とかいったものと、まったく同列に語ることはできなさそうだ。また、清流であるところの錦川の川べりでは、デイキャンプを楽しむ家族連れの姿もある。さすがに日もだいぶ傾いてきて、特にこの山間の地だと薄暗くなってきているので、彼らもそのうちに撤収するのかもしれないが、想像していたようなわびしさは意外なほどに感じられない。一方、車内からは一人、また一人と乗客が姿を消していく。結局、終点の錦町駅まで乗り続けた乗客は、私以外にはただ一人だけだった。

画像 何かの縁があってここまでやって来たのだし、せっかくだから錦町駅で降りてみる。沿線の多くの駅は、ホームと待合室があるだけの簡素な駅が多かったのだが、この駅は比較的大きな建物を併設していた。田舎の駅によくあるように、駅以外のほかの機能も担っていそうな雰囲気ではあったけれど、換言すればコミュニティの一つの中心になっていると見ても良そうだ。駅前には周辺の観光案内図があり、華やかで押し出しの強い観光地こそ目に着かなかったけれど、山間の町らしい素朴な見どころには事欠かなそうだ。何もないを楽しみに来る心のゆとりがあれば、悪いところではないのかもしれない。ただ、見たところ旅館や民宿のような宿泊施設も目につかなかった。看板を見ている間に、駅前のロータリーに止まっていたタクシーがどこかへ走り去った。客を乗せていたようではなかった。おそらく、私が乗ってきた列車に客がいるのではないかと待ち構えていたのだろうが、その可能性のありそうだった一人のおっさんが、特にタクシーを欲していなさそうなので、今日のここでの営業を終了したということなのだろう。辺りは、確実に暗くなり始めている。この後にももう一本、岩国駅方面からの列車はあるようだが、先ほどの車中の様子からして、さほど多くの乗客はいなさそうだ。かくいう私も、もう10分ほどで錦町駅を出る列車に乗り損ねると、その後の展開は結構厳しいものになるので、大事を取ってくだんの列車に乗り込むことにした。と言ってそれは、私がここに来るのにやってきた列車がそのまま折り返し運転をするだけのものなのだけれど。

 かくて、1時間ほど前に通り過ぎてきた道を引き返す。錦町駅を出る頃には日も没していて、間もなく窓の向こうは真っ暗闇になった。さすがにこれでは旅情も何もあったものではない。半ばやっつけ仕事みたいにしてやって来たものの、もう少し明るい時間帯に、車窓の風景を楽しみながらやってきても良かったかもしれない。沿線に有名観光地こそないけれど、この路線にはそれだけの価値があるとも思った。

 新幹線への乗り継ぎは、比較的スムーズに済んだ。広島まで進んだ後は、早々に宿に向かい、明日に向けて英気を養う。広島もまた、いつかの豪雨災害の影響で不通のままになっている路線が少なからずあるが、明日は、アストラムラインと呉線を取りにかかる予定だ。

つづく

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  • 令和最初の九州旅・その4

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