アイアンカムイ・その4

 駅の旅の朝は早い。朝が早いだけならともかく、夜が遅いのもつらい。昨日は結局、23時近くに場末感のあるカプセルホテルにチェックインした後、ラーメン横丁にある弟子屈で辛味噌ラーメンを食った。風邪でのどがやられていたので、辛味噌は鬼門となった。そこから風呂に入ったりしたので、眠りに着いたのは結局日付が変わるような頃合いのことだった。不幸中の幸いとでもいうのか、今日は行動開始時間が比較的疎遅めで、6:21に札幌駅を出る石狩当別行きの列車に乗れば良い。起床も5時と、ちょっと遅めである。

 すすきのから札幌まで、地下鉄の駅で二駅ほど離れている。地下街でつながっているので、歩いていけば結構早くつくことはできそうだが、連戦の疲れがたまってきたので、動き出して間もない様子の地下鉄に向かった。ホームでボーっとしながら、電車が来るのを待つ。妙に間延びした時間が流れる。間延びしすぎなのに不安を覚え始め、いったいいつになったら電車が来るのかと、時刻表を探してみると、始発が6時過ぎとなっている。どう考えても石狩当別行きには間に合わないタイミングである。想定外に、札幌市営地下鉄の始発は遅かった。慌てて改札に向かい、事情を説明して改札の外に出る。同じようなタイミングで、明らかに旅行者らしい風体の客が、私と同じことをしていた。皆、平日の地下鉄の始発がこんなに遅いはずがないと思っていたに違いない。

 若干小走り気味に札幌駅に向かう。道理で前回の旅の時、札幌駅まで歩いたわけだと納得しつつ、詰めの甘さを痛感する。汗をだらだらと流した甲斐あって、乗りたい列車には間に合わせることができた。慌てて車中に乗り込むと、近い将来の廃止を待つ路線にしては多くの乗客が乗っていた。いや、廃止されるのは路線の先っちょの方だけなのだけれど、それにしても乗客が多い。が、よくよく観察してみると、車両に乗り込んでいる客の9割がたは鉄道使いと思しき連中である。生活利用の客の姿は、田舎に向かう列車だということもあってかほとんど見当たらない。というか、平日なのになぜこれほどの趣味人がいるのか。この社会は何かが間違っているのではないか。

kamuy16.jpg 札沼線は、札幌市の北西方向に進んだ後、方向を転換し、今度は北東方向に延びていく路線である。札幌郊外に住む人を札幌市内に運ぶことを目的とした路線ということになるのだろう。もっとも、北海道の交通網は基本的に札幌基軸にしており、特急網にもそれが顕著に表れているので、札幌と郊外を結ぶという思想は札沼線特有のものではないのかもしれない。ただ、この路線に関して言うと、北海道内でも有数の優良路線と思われる函館本線の札幌-旭川間とわずかに十数㎞ほどのところを並行するようにして走っており、本当に札幌市郊外と言えるような石狩当別くらいまでの間はともかく、廃止予定区間に関しては存在意義が希薄とされても仕方がないような気がする。そしてこの廃止予定区間である北海道医療大学から新十津川までの区間は、運行本数が1日に1本だったか2本だったか、とにかくべらぼうに少ないことから鉄道マニアの間では、これに乗ってみることがちょっとしたステータスになっている感がある。そんな調子なので、実は駅メモ上だと函館本線からレーダーを撃ち込むだけで大抵のところは取れてしまいそうな気がするのだけれど、私の旅程の中では、実際に乗ってみることはそんなに難しくなさそうなので乗ってみることにした。

 いざ乗ってみると、札沼線前半部分は、良くも悪くも札幌市の郊外路線ということが分かる。平日の朝という時間帯に、札幌市街から遠ざかる方向に向かって走っているので、道中では高校生などを中心にわずかな人々が乗り込んでくるだけだけれど、逆向きに進む列車ならたぶん、それなりの需要はあるのだろう。駅周辺も、基本的には市街地化されていて、駅間距離も短い。しかし、石狩川を渡ったところで、ちょっと趣が変わり、ある意味で北海道らしい車窓風景が展開されるに至った。そして列車は、終着の石狩当別駅にたどり着いた。比較的大きな駅だったが、さらにその先を目指す車両は、昨日同様のクーラーなし車両だった。これまで、北海道の旅で使ったのはなんだかんだと言って特急が主だったので気づかなかったのかもしれないが、列車の更新が進まない困窮ぶりが、北海道鉄道界のリアルなのかもしれない。

 しばしの待ち時間の後、乗り換え。車内には相変わらず鉄道使いが多い。窓の外は、北海道医療大学駅を過ぎた後から急速に農村化してきた。鉄道使い達の中には,立派なカメラを持った者もいるが、車窓風景を撮るでもなく、駅に着くごと駅名標を撮ったり、車両の型番か何かを撮ったりする者ばかりである。鉄道使いにもいろんなタイプがあるらしいので、これはこういうものなのだろうが、しかしいい大人が、駅に着くたび狭い車両の中でどたどた騒々しく駆け回るのは見ていてあまり格好の良いものでないと思う。まあ、そこまでしているのは小山のような体躯の男一人だけなので、余計足音が響くのかもしれないが。それにしても、考えてみれば彼が傍目も気にせず取り続けている駅名標も、もうあと少ししたら撤去されることになるのだろう。そう考えると、何でもない看板が記念碑のようにも思えてくるのだから不思議だ。

kamuy17.jpg 石狩当別駅からさらに1時間半以上をかけ、列車は新十津川駅に到着した。新十津川は町制を敷いている。由来は良くわからないが、たぶん十津川郷士とかの十津川村出身の人たちが開拓に関わったから新十津川なのではないかと思う。あちらはあちらで日本一大きな村として存続しているが、分派の方がまかりなりにも町を名乗っているのには、何とも言えない感慨がある。ともあれ、これにて札沼線は制覇。新十津川駅は、鄙びた小さな駅だったが、札沼線の一部廃線を最大にして最後の商機ととらえたか、最大限にデコレーションしている感じだった。「廃線まで270日」と、宇宙戦艦ヤマトのようなカウントダウンを書いた黒板が置かれていたりした。考えてみれば、いつ廃線なのかを知らないまま乗り込んだけれど、270日後廃線と言われると、まだ結構時間があるのだなと思ってしまう。こういったところは、廃線間近の三江線も似たような雰囲気だった。実際駅周辺には、正当な鉄道使い達が数多くたむろしていたし、ちょっとしたバブルのようでもある。このある種の観光地化は、少なくとも今この時期は恒常的なもので、平日でもいつだってこんな感じで、休日はもっとヒートアップしているのかもしれない。

kamuy18.jpg ここからは、またまた滝川駅まで移動する。距離にして4~5㎞といったところ。歩けないような距離でもないし、当初は歩くつもりでいたが、下手な田舎を歩いていてヒグマに襲われたらどうしようと、わりと真剣に心配していた。新十津川町周辺は、たぶんそんな心配もないほどに立派に都市化されていたが、かなり暑くなっていたところへ持ってきて、タイミングよく滝川駅行きの路線バスが近くの町役場から出るらしいので、バスを使うことにした。同じようなことを考えている鉄道使いは少なくなかったようで、それなりの人数がバスの方に流れてきたが、そのうちの何人かは札幌から道を同じくした駅メモ関係者だった。私と同じ動きをしている。ちなみに、札沼線の札は札幌の札、沼はたぶん新十津川の少し北にある沼田の沼なのだと思う。本来は沼田までつなげる計画の路線だったのだと思うが、滝川で閉塞しておけばよかったのではないかとも思う。というかそもそも、これほど狭い間隔で同じ国鉄系の並行路線が必要だったのかと思わずにはいられない。北海道ではかなりの数の路線が廃線の運命をたどっているが、とにかく強気だったと思われる国鉄時代に、沿線人口からしてさほど需要のない路線を大量に敷設した結果が、後の廃線ラッシュだったのかもしれない。

 滝川から今度は深川まで移動。次に目指すのは留萌駅である。乗るのは留萌本線だが、留萌本線も間もなく廃線の運命をたどるであろう路線である。主要路線からのアイテム使用でどうにでもなったであろう札沼線と違い、日本海寄りのいくつかの駅は、ある程度近づかないことには射程に捕えること自体が難しいし、大体留萌から先、増毛に至るまでの同線はすでに廃線としてゲーム上と登録されており、これを取ろうとした場合、レーダーを使う前提でも現在の終着である留萌駅まで行く必要がある。終わりが見えた路線の死に水を取るような、何か侘しさを感じさせる今日の旅路だが、ある意味コンセプトを統一できたのはよかったのかもしれない。

kamuy19.jpg 一見、行きずりの旅人には縁もゆかりも生じなさそうな場所に位置している留萌という町だが、実は鉄道利用ではないながらも足を運んだことがある。以前、苫前や稚内を目指した際に、この街を通過している。そういう意味で交通の要衝と言える留萌町には、オロロンラインの通称を背負う国道が走っており、風光明媚のシーサイドラインとして、ドライバーやライダー憧れの地となっている。このオロロンライン、札幌からダイレクトに日本海に出、そのまま走っていくこともできるが、効率第一で移動しようとすると沼田から自動車道を走ってきて、留萌で海沿いに出ることになる。この自動車での道がおおむね留萌本線沿いに走っているので、ゆくゆくは都市間高速バスの類が現在の留萌本線の役割を担っていくことになるのだろうか。さて、肝心の留萌本線だけれど、序盤を除き森林の中を走る区間が多く、樹林と駅周辺の集落を繰り返す感じで、景観については見ていて楽しいと感じるほどではなかった。幸い、全線通しで乗っても1時間ほどの路線なので、」それに助けられたが、例によって盲腸線なので、留萌駅に着いて折り返し、同じような景色を眺め続けるのはなかなか辛いものがあった。

 留萌本線を攻略し、札幌に戻る。今日はこの後、小樽周りの函館本線で長万部に進む。長万部周辺に適当なキャンプ地が見つけられなかったので、宿は、戻る形になるけれど室蘭に押さえた。本当は函館まで行けると良かったのだが、長万部から函館が予想以上に遠かった。なお、小樽と言えば道内有数のメジャー観光地ではあるけれど、実は未訪の地となっている。苦しい道のりとなるだろうことが予想された廃線候補の旅をクリアした後のご褒美として、華やいだ街・小樽を用意した…というわけでもないが、図らずもそんな感じになった。

 いろいろ調べてみると、意外にも小樽方面に行く特急はないらしい。というより、かりそめにも政令指定都市である札幌都市圏に含まれるためか、新千歳空港と結ぶ快速エアポートが小樽まで走っている。また、快速を使うまでもなく、札幌‐小樽間を結ぶ列車の本数は、北海道では異例とも言えるほどに多く、ここはさすが百万都市のエリアという感じがする。そのため、小樽までの移動はかなり容易だった。問題はその先で、小樽から長万部へと向かう路線は、通称で山線などと呼ばれているらしいのだが、こちらの本数が少ない。小樽市の郊外みたいな余市辺りまで進むのなら小樽で乗り継ぎつつ、1時間に一本程度の列車を捕まえればよさそうだが、小樽から長万部まで通しで移動しようとすると、日に数本の列車を捕まえるしかなさそうだ。今回、幸いなことにそれを捕まえるプランがうまく日程にはまり込んだのだけれど、その代償として、小樽で確保できた時間は乗り継ぎ待ちの1時間半程度となった。1時間半あれば駅近くの観光をするだけには十分すぎる時間なのだけれど、私が一番見てみたい鰊御殿は、小樽市内でも海辺の田舎の方にあるらしく、結局そんなに本数の多くないバスを当てにせざるを得なさそうだ。なので今回は、メインディッシュをあきらめ、小樽の下見と割り切ることにする。なお、北海道新幹線が札幌市まで通じることになった暁には、その経路は子の山線寄りのルート設定になるのだそうで、全く鉄道需要がない地域というわけでもなさそうだ。

 小樽駅は、観光を一つの柱として生計を立てているであろう北海道の中でも、特に観光を強く意識したらしい瀟洒な駅舎を備えていた。規模はそんなに大きくはなく、ホーム数に比して駅舎が小さい。小樽の町は、東側が山に面し、西側に山を背負っているため、全体が緩やかに傾斜している。高架式のホームというより、そういう立地にあるためのような気がするが、ホームから階段を降りると目の前に改札があり、改札の両サイドに観光案内所や店舗が控えているが、駅複合型の商業施設というほどの規模ではない。

kamuy20.jpg 駅の外に出てみると、街並みがあまり北海道らしくない。何に対してそう感じたのかをうまく説明できないのだけれど、何となく本州の街並みを思わせる。知っている中では、坂道に沿って商業地域が広がっているという点で、別府の街の沿岸部を思い出させる。それでも北海道らしからぬ雰囲気の源泉をたどろうとしたところ、都市空間の高密度ぶりに由来しているのではないかと、仮に結論付けることにした。北海道の町は概して、有り余るほどの土地に任せて道幅は広く、建物もむやみやたらに上へ伸びて行ったりはしないが、小樽ではそういう傾向も控えめなようである。先に描いた通り、小樽駅前の町は、海と山に挟まれて営まれているので、他の大都市ほど野放図な広がりを持てなかったのだろうか。

kamuy21.jpg さて、1時間半の小樽滞在時間で何をしようかと、いろいろプランを考えはしたのだが、結局運河見物ぐらいしかすることがないのに気付いた。街中には、古い時代の名残をとどめる建築物などが点在もしているようだったけれど、どれがいいのかという情報を詰め切れなかったし、ならば小樽を象徴する運河でも見てお茶を濁そうかということになった。が、実際に行ってみるともう一つ響いてくるものがない。シーズン、時間帯、天候など、理由はいろいろ考えられるが、観光用の宣材写真で見るような美々しさがなく、何となく、営業時間外に施設を訪問してしまったときのような、味気の無さがある。人が多ければよいというものでもないが、悪い意味で観光地然としていなかったので、その気になれなかったというのもあるかもしれない。

kamuy22.jpg なお、運河と駅の中ほど辺りに、国鉄手宮線の跡というのがあった。調べてみると、延長2.8㎞ほどの短い路線で、貨物線だったようである。たぶんそのためだろうが、廃駅としてもゲーム上には存在しない。しかし、路線の跡はそれなりに見栄えがするように公園整備がなされており、線路も現存している。この線路は、驚いたことに今も小樽駅前を貫く目抜き通りを横切って保存されており、いまだに現行路線と間違って止まってしまう外来の車があるためか、「一時停止の必要はありません」と書かれた看板も設置されている。

 さて、私の小樽初訪問は、もう一つパッとしないものとなってしまった。市内の様子を見ている限りだと、ホテルはやはり何軒かあったので、市内を拠点に観光することもできそうだが、すでに触れた通り札幌から小樽までやってくるのにはさほど手間がかからない。単純に宿泊地としての利便性を考えれば言うまでもなく札幌に軍配が上がるし、いつの日か、鰊御殿などを目当てにまた小樽を再訪しようという時も、やはり拠点は札幌にした方が良いのだろうかなどと思ったりした。

 若干時間を持て余して駅に戻る。駅でも少し暇をしながら待っていると、やがて長万部行きの列車がやって来た。待ちかねて乗り込んだが、しばらくすると、2両編成のうち後ろ側の1両は途中のどこだかの駅で切り離し、終着駅まで走るのは前寄り車両のみだというアナウンスがあった。私が乗っていたのは後ろ寄り車両。どうせ最後まで行くのだからと前寄り車両に移動しようとしたところ、最近導入されたらしい通勤列車っぽい後ろ寄り車両に対し、この旅何度目かになる古いローカル線車両が前にいた。クーラーの付いていないあれである。2両目はきっちり冷房を効かせてくれているような気候だというのに、1両目はそうでもないという理不尽。仕方なく2両目に戻る。

 会社などはともかく、学校が終わろうかというような時間帯。そのためかどうか、車内にはかなりの数の乗客がおり、混雑と言っても差し支えのないような状態となっていた。が、列車が進むにつれ、あれよあれよという間に人は減っていき、余市駅を過ぎる頃には、スカスカの車内になってしまった。人の多さに息が詰まりそうなのも考え物だが、あまりに人が少ないのも寂しい。特に日が落ちた後もローカル線に乗り続けることになる今日のような日には。

 山間部を走る区間が長いこともあり、函館本線の日は急激に暮れてしまった感じがする。火灯し頃に倶知安駅に到着すると、当初の宣言通り、後ろ寄りの新しい車両が切り離された。ところが、ここ倶知安駅は、この辺りでは比較的大きな町に立地しているようで、近くに高校もあるらしく、夥しい数の高校生が乗り込んできた。彼らの帰宅時間にかち合ったという事情もあるにはあるだろうが、編成が短くなったのとは対照的に、えらい混みようである。そそくさと車両を乗り換えていた私は座れなくなるようなことこそなかったけれど、機を逸して座席からあぶれていたら、臍を噛む様なことになっていただろう。ちなみに、倶知安から長万部に向かう車両には、先にも書いたように通勤仕様ではなく、旅行者向けのボックスシートが設置されている。これだけ混んでいると自分一人だけで席を占有できるはずもないが、男子高生たちは座るでもなくボックスの方に入り込んできてわいのわいのと、ソシャゲのことで騒いでいるのでなんだか落ち着かない。高校生と言えば大人みたいなものである。いっぱしの大人がスマホのゲームに血道をあげるとは、嘆かわしい風潮である。彼らが侵略してきたおかげで、私は落ち着いて駅を取ることができない。

 ただ、彼らの大半が長万部まで行くかと言えば、そうとも思えない。情報によれば、乗客の多くは途中の蘭越駅で列車を降りるという。比羅夫、ニセコ、昆布。この辺りは珍妙な駅名も多いが、順調に人は減っていき、予言されていた通り、蘭越でごっそりと人がいなくなった。おかげでだいぶ快適な車内環境が戻ってきたが、いつまで経っても列車を降りない剛の者はいるものである。それが小憎らしい男子高生であれば何も思いはしなかったのかもしれないが、最後まで残っていたくっ高生(推定)は女子で、倶知安からずいぶん先の黒松内駅くらいまでは車中にいたような気がする。到着時刻は、せいぜい20時前と言ったところだったのだろうが、北海道の山中を走る路線である。列車の外は真っ暗で、何とはなしに不憫にも思えてくる。

 とにかく、最後の同行者がいなくなり、車中には私と運転士しかいなくなった。現金なもので、こうなってしまうとやはりなんだか寂しいような気もしてくる。私にしてみれば寂しいだけで済むが、運転士はこういう場面で何を思うのだろう。もしかすると「何で客が乗ってるんだよ」と、恐怖すら抱いているのかもしれない。それほど、普段の利用者の存在を想定しにくい山線の夜である。

kamuy23.jpg 一面真っ黒の中を進み、20時前に列車は長万部駅に着いた。ここから、札幌方に向かう特急に乗り換える。特急が止まるような駅なので、それなりに規模が大きく設備の充実した駅なのかと思いきや、交通の結束点にある以外は、ローカル駅に毛が生えた程度のものでしかなさそうだ。ここでまた20分ほどの待ち時間が生じる。微妙に暇を持て余したので、訪問前日に閉店した店として知る人ぞ知るキヨスク長万部店を見に行った。当然のことながら、駅舎の中にすでに店はなく、一種異様なたたずまいを見せる待合室があった。たぶん、ここが昔のキヨスクの名残なのだろう。まあ、店の跡をいつまでも保存しておく意義はないので、当然と言えば当然の展開だろう。

 この旅を通して分かったのだが、北海道は意外とどこにでも宿がある。ホテルまでは望むべくもないかもしれないが、民宿や旅館なら長万部駅近くにもありそうだ。トラベルコだのトリバゴだの楽天トラベルだのからお手軽に予約しようとして検索に引っかかってくるようなものとは思えないが、探し出して電話予約する手間を厭わなければ、もう少し旅程の幅が広がったのかもしれない。そんなことを思うが、今となっては詮なきことだ。最後の乗り換えの場となるホームに向かう。が、新夕張の時と同様、どこで待っていれば良いのかよくわからない。こういう時は、たいてい頭上か足元に特急○○何号車だの指定席だのの表示があるのだけれど、いくら探しても足元に花やカモメのイラストが描かれているだけ。本当にこのホームで待っていて良いのか。例によって不安になってきたので、一度こ線橋の方まで戻って様子を探ることにした。

 そうしたところ、アンティークな風情を漂わせる長万部駅には不釣り合いな液晶ディスプレイを発見した。どうも、列車の停車位置と乗車位置を示したものらしい。それによるとどうやら、自由席に乗りたければRの乗り場で待っていれば良いらしい。バラ(Rose)のR。イラストの意味を理解できたのは良かったが、さすが自由席だけあって、Rの乗車位置は階段からえらく遠いところにあり、からくりがわかってもなお不安を催すほどだった。大体、北海道フリーパスは回数制限があるなりに指定席に乗ることもできるのだから、自由席にこだわる必要はない。特にこの旅で特急を使う機会は、この室蘭行を含めても、どう考えたってあと2回しかなく、ここで指定席使用権を行使したところで何ら問題はないのだが、それでも自由席乗車位置で列車を待つ。特急と言えど、JR北海道管内の列車の乗車率はさほど高くない。指定席に座るのは良いが、座席を確保するメリットより座席指定で定位置に縛られることになるデメリットが先行しそうなほどに。

 そんなわけで、どうにか無事自由席に乗り込むことができ、東室蘭駅までたどり着くことができた。室蘭の町は、太平洋側に突き出した半島部に開かれている。鉄道路線に注目すると、室蘭本線は東室蘭駅で半島の先端の室蘭駅に通じる路線と分岐している。室蘭駅と東室蘭駅、どちらが室蘭市の中心と言えるのかは良くわからないが、少なくとも21時を回って降り立った東室蘭駅西口は、駅前とは思えないほどに暗かった。ラーメン屋や喫茶店など、どうかすれば営業していてもおかしくなさそうな店が、軒並みシャッターを閉ざし、明かりを落としていることに名状しがたい不安を覚える。

 今回の旅行、当然のことながら持ち出しが多い。苫小牧、釧路と、選択の余地がほぼなかったので、ビジネスホテルとしてはそれなりに高めの宿に泊まることになったが、そう贅沢も続けられないので、選択肢の多い札幌ではカプセルホテル、そしてここ室蘭では駅から距離のある安宿を選ぶことになった。距離があると言っても何㎞も離れているようなものではないが、10分ばかり暗い街を歩いていると、またしてもどこか異界に紛れ込んでしまったかのような感覚に襲われそうになる。ルートイン、ドーミーイン、サンルートと、聞き覚えのある宿がどんどん遠ざかっていく。安めの宿=有名チェーンではないということなので、名前もあまりちゃんと頭に入っていなかったのだが、もしかして道を間違えてしまったのではないかと不安に思い始めたとき、どうにか今日の宿りに行き着くことができた。

kamuy24.jpg もともと外食はあてにしていなかったので良いようなものだが、近くのコンビニで買ったどん兵衛で晩餐。これもいつものことなので、問題にするには及ばない。疲れもたまってきているが、明日はついに、長かったこの北海道旅行が終わる。願わくば、北海道の全駅制覇が成し遂げられることを。心に期しているうちに、いつの間にやら眠りに落ちていた。

つづく

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