九州完結の旅・その4

 それなりに得るものもあったところで、石炭産業科学館を後にした。再び大牟田駅前まで歩き、今度はバスで宮原坑へ。こちらも車で駅から20分弱かかる距離だとされているが、歩いて歩けないほどの距離ではなさそうだった。ただ、今度は時間短縮のためのバス利用である。

miyaharako.jpg 宮原抗は、郊外の原野みたいなところにある様子を想像していたのだけれど、意外にも付近は住宅地化されている。ただそんな中、かつて炭鉱からの物資を運んで列車が行き交った鉄路の跡と思しきものも残されているので、確実に炭鉱跡に向かっていることはわかる。そして、5分ほども歩いたら、宮原抗でかつて使われていた鉄製の櫓のようなものが見えてきた。いかにも観光客らしい軽薄な感想にはなるけれど、廃坑チックでなかなか映える遺物である。少し離れたところから写真を撮りつつ、抗口と思しき方向に向かうと、だしぬけに近くの詰所のような簡易建物から、おじさんが飛び出してきた。着ているベストには大牟田市のボランティアであることを示す文字が印字されており、明らかに関係者ではあるけれど、想像以上に鋭敏な反応に少し面食らう。そして、どこから来たのかと聞かれたので、思わず本当のことを答えてしまった。まあ、嘘をつく必要もないのだけれど。

 どうやら、宮原抗を見学するにあたっては付きっきりでガイドしてくれるらしい。遠慮できるのかどうかは定かではないが、まあ廃坑ということでそれなりに危険な個所もあるのだろう、見学者が危ない目に合わないように指導する意味合いもあるのかもしれない。私には同行を断るほどの理由もなかったので、流れで何となく敷地内を案内してもらうことになった。おじさんは、訥々とした土地の言葉で、炭鉱の遺構についていろいろと説明してくれる。実は、先ほど見てきた科学館で仕入れた情報と重なるところも多いので、全く初めて見聞きする情報ばかりとはならなかったが、その話は知ってますとも言いづらかったので、知ってることも知らないこともひっくるめて、初めて聞く体で相槌を打ち、敷地内を歩いて回った。

 一帯の炭鉱が閉山の道をたどったのは、1997年、つまり今から20年ほど前のこと。私は高校生だったはずだが、きっとニュースになったに違いないであろうこの出来事を、それほど鮮明には覚えていない。たぶん、社会科の授業などで九州の北部に炭田があるという情報は知っていたはずなのに、それがなくなることに大して関心を持っていなかったということになる。今、半ば廃墟のようになったその跡を目にすると、わずかに20年ほど前まで、今の日本ではすっかり異質なものと化してしまった感のある炭鉱が存在していたことが真に迫ってきて、複雑な心境になる。役割を終えたものは、実に簡単に忘れ去られる運命にある。

 この地域の炭鉱は、別に鉱脈が枯渇したとかいうのではなく、単に採算が合わなくなったので閉山したに過ぎない。つまり掘ろうと思えばまだ掘れるのだけれど、坑道は大牟田市の地下はもとより有明海の地下にまで達し、まさに網目のようになっていたのだそうだ。おじさんは言う。筑豊の炭田には、坑道から出た石炭ガラを投棄したボタ山が付き物だが、大牟田や、隣接する熊本の荒尾ではボタ(石炭ガラ)を有明海の埋め立てに使ったので、この地域にはボタ山が存在しないのだそうである。道理で、それらしきものが目に付かないと思った。結局30分くらいかけて見学を終えた。おじさんが、町の人口は最盛期の30万人ほどから10万人程度までに減ったが、車の数が減って渋滞することもなくなり、静かな生活が訪れたと語っていたのが印象に残っている。

 最後に、職員の宿舎を改造したという喫茶スペースでコーヒーを飲んだ後、ついに福岡県平定に向けて出発。作戦としてはこうである。原田駅から筑豊本線に入り、取り残しの駅を取る。今回は青春18きっぷを持っているので、行ったり来たりも自由自在である。まあ、前回だって九州満喫きっぷを持っていたので、移動環境には大差がないのだけれど。問題は、取り残しの駅すべてに乗るか。アイテムで済ませるかというところ位だ。この辺りの路線は、どうやら乗っていて楽しい感じではないことがわかっている。さらに半端な駅まで行って戻ってくることを繰り返す形になるので、待合室があるかどうかも怪しい田舎の小さな駅で、寒々と戻りの列車を待つことになる可能性もある。そこで今回は、末端の駅はレーダーで片を付けることにした。

 原田駅でしばし時間をつぶす。「原田」と書いて「はるだ」と読む。ここから桂川(けいせん)駅までの通称原田線は列車本数が多くなく、乗りつぶし旅のネックになる区間として、そこそこに有名らしいが、今回は小一時間の待ち時間で乗り継げるので、せっかくだから実際に乗ってみることにした。原田駅前には、大都市郊外の駅のような、それなりに整ってはいるけれど、もう一つ引っかかってくるものもない取り澄ました街並みが広がっていた。ここで50分ほどを待つのはなかなか厳しいものがあったけれど、とにかく待ち時間の末に原田駅0番ホームに待望の列車がやってきた。始発駅のはずなのに、発車時刻ぎりぎりの入線。原田駅への停車時間もほどほどに、桂川方向に向かって走り出した。車窓から見えるのは、どうということもない山村風の風景。むしろ気になるのは、この旅で初めて、車内に濃密な鉄道使いの気配を感じたことである。近くのシートには二人連れの鉄道キッズもいて、この何の変哲もなさそうな路線の風景に嬌声を上げている。どうも、スピーカーの数を数えているらしい。鉄道業界では、スピーカーも珍重されているのだろうか。

 そして、桂川駅から福北ゆたか線に乗り換え。原田線も福北ゆたか線も、ともに正式名称は筑豊本線である。どうも東海道本線に琵琶湖線だとか京都線だとかの名が着いているのと同じことらしい。考えてみればJR東海管内でその種の通称名のようなものは聞いたことがないような気がするが、そういう実用本位の東海の姿勢は、鉄道界隈ではあまり評判が良くないらしい。そんなことを思いながら桂川から飯塚まで進み、飯塚から取り残していた駅をレーダーで奪取。ここから博多まで取って返し、道中原松駅を取ったところで福岡平定、ひいては九州平定はなった。これで私も九州探題である。

 若干時間に余裕ができたので、のらりくらりと博多まで進み、ジョジョリオンとゴールデンカムイを買ったりして時間をつぶしながら夕刻を待った。久しぶりに博多駅の地下の名代ラーメン亭で安いラーメンを食べ、何となく食い足りなかったのでキャナルシティのラーメンスタジアムで札幌ラーメン系の店に入って二杯目を食った。思えば博多の街をうろつくのは、大抵いつももっと遅い時間帯だったような気がする。宵の口ということもあってか、街は普段の時とは違った顔を見せていて、何より道行く人の数が多い。それはわかるのだが、なんだか妙に歩きにくい街である。東京や大阪、そして名古屋も含めた大方の大都市だと、道行く人の流れに一定の規則性があり、何となく右側通行とか左側通行とかの不文律が存在しているので、それに沿って歩いていけば大過がないのだけれど、この街を行く人は、めいめい勝手に自分の歩きたいところを歩くきらいがあるようだ。歩道を歩いていると突然対向してくる人とぶつかりそうになり、その度に流れが滞る。これも一種の地域性なのだろうか。

 そしてほどほどに時間もつぶれたところで、宿にもぐりこんだ。今回はついに、博多駅前のホテルキャビナスを使ってみた。サウナ&カプセルのホテルで、近年地方都市に増えてきた高付加価値型のカプセルホテルの走りみたいな施設である。カプセルはものが比較的新しい以外はオールドファッションのものを使っているが、入浴施設が充実しているのはうれしい。それに加えて博多駅まで至近という立地であるにもかかわらず、4000円ちょっとで宿泊できたので、良心的な宿ということにはなるのだろう。

つづく

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