雪国の春・その2

 フラワー長井線は盲腸線なので、来た道をそのまま引き返す。ついさっき通ったばかりのような道のりだし、普通なら飽きてしまいそうだけれど、沿線ののどかな風景を眺めていると、こういう旅も良いかなと思えてくる。などと旅情に浸っていたら、途中の駅から何かの団体が大挙して小さな車両に乗り込んできた。一両編成でもがら空き状態だった車内は、俄かに騒々しくなった。鉄道会社主催の何かのイベントなのかと思いきや、クラブツーリズムの一団らしい。いくらかは演出もあるのかもしれない、強烈な土地訛りのガイドが沿線の風景や駅についていろいろ解説を加えている。例によって、その内容を盗み聞きしていると、今年はやはり異常に雪が少ないらしく、3月とは言え平地にほとんど雪が残っていないのは、土地の古老をして未曽有のことと言わしめるほど珍しいのだそうである。曰く、今我々が目にしているのはこの季節のこの地としては「偽りの姿」なのだそうである。その後もマシンガントークはとめどなく続き、途中駅の役目を終えたホームの残骸のことや、戸津川警部のドラマで死体が見つかった駅、犯人を追い詰めた駅、近くの学校の生徒が造った駅の話などをしている。が、特に印象に残ったのが、沿線にかけられた年代物の鉄橋のことだった。最上川橋梁と呼ばれるそれは、もともと東海道本線の木曽川にかけられていた橋なのだそうだ。奇しくも私と同方面からやって来た橋に、こんなところで出会うことになろうとは。ちなみに鉄道の橋は、ある場所で退役したものが別の場所で再利用されたりするものらしく、山陰線の保津川橋梁が、名古屋駅近くの人道橋(というか老朽化で自動車などの通行が禁止されたもの)として存続している。移送するコストもかなりのものだとは思うが、それでも新造するより安く上がるのだろうか。

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 クラツー軍団は、今泉駅を待たず途中の駅で下車していった。車内が、がらんとする。私もそこから2~3駅先の今泉駅でフラワー長井線の旅を終えた。この路線の終点は、奥羽本線との乗換駅となっている赤湯駅だけれど、そこまで付き合う余裕はなさそうなので、今泉~宮内駅間をレーダーで回収して済ませる。赤湯・南陽市役所駅は奥羽本線からすでに取っていた。再訪することがあるのかどうかわからない路線だけれど、レーダーで片づけた中で一つだけ、梨郷という駅が気になった。梨郷と書いて「りんごう」と読むややこしい駅である。男の世界が広がっていそうなこの駅も、今回は漆黒の意思で遠隔地から取るだけにとどめた。

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 今泉駅から米坂線に復帰したのち、一気に米沢駅まで移動した。実際にはなお数駅を残していたので、文字通り瞬く間に片付いたとは行かなかったが、ここまでの道のりに比べれば短い距離だったので、楽な移動だった。そして、米沢駅から山形新幹線に乗り換え。下車した経験がありながら、米沢駅が大きいのか小さいのか、あまり印象になかったので、あらかじめ新幹線の切符を買っていたのだけれど、実際のところ10分に満たない乗り換え時間の中で改札を出て新幹線の切符を買いなおしても、まあ危ない橋を渡らずに済みそうなコンパクトな駅だった。そんな駅でも、新幹線が止まる置賜地方の中心的な駅なのもまた事実だ。

 ただ、山形新幹線とは言いながら、福島駅に入線するまでのこの路線は、在来線の線路を走る特急並みの速力しか出せない。そのためかどうか、米沢から郡山までの乗車券付き新幹線特急券が安くてびっくりした。間違ったきっぷを買ってしまったのではないかと心配になったほどだ。単なる通過点のようなこの区間だが、実は以前の走破時に、電波状態の悪さから板谷駅と赤岩駅を取りそびれており、アイテムでリカバーしておけばよかったのに、どうせまた来るだろうと思って放置していたら、なかなかその機会が訪れなかったという因縁の地でもある。今回は、アイテムに頼ることなく、米沢‐福島間の全駅を回収することができた。これにて、奥羽本線南部の全駅を制覇したことになる。さらに、さっきフラワー長井線を取ったことも相まって、東北地方の局面に良形を構築することができた。すなはち、次回の東北旅行で岩手県、秋田県、山形県を完全制覇するめどが立った。東北では後、宮城県の一部を残すことになりそうだが、そうは言っても仙台までは夜行バスで一手のうちに移動できるので、これは比較的容易に取れる範囲ということになる。

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 車窓から見える山並みを見ながら、引き続いて磐越西線で会津若松まで移動する。毎度のことながらこの路線、車両が小ぢんまりしている割に乗客が多いので、座れなくなることが多いような気がする。さすがにこの辺りの山はまだ雪をかぶって真っ白である。登山シーズンというより、スキーシーズンの終わりといった雰囲気だが、猪苗代駅で多くの人が列車を降りていくのを目の当たりにすると、何となく置き去りにされたような心持になってくる。猪苗代から近い山というと、磐梯山か。奥羽本線の事故分を回収し、磐越西線も走破すると、今日で福島県の完全制覇も成る。磐梯山に限らず、安達太良山も興味はひかれる山だ。この地が駅の呪縛から解放されたら、今度は山狙いでまたやってきたいものだ。一時間ほどかけて会津若松駅に到着した。市内観光は捨てたが、少し時間があったので駅に入っていたそば屋・立ち葵で遅い昼食にした。

 そして、磐越西線残り区間の旅に挑む。特に会津若松駅から新潟県の新津駅までは「森と水とロマンの鉄道」の通称で呼ばれており、その名の通り森と山と川に囲まれたところを走っていく。車内にはそれほど多くの人が乗っているわけではないが、中国地方山間部を走るような列車に比べれば、ガラガラに空いているということもない。ボックスシートを一人客が使える程度の乗車率と言ったところか。その割に窮屈な思いをするのは、古い型の車両によくみられる、窓直下に存在する謎のでっぱりのせいだ。本当、これがあるがために足の置き場に困ることがしょっちゅうである。

 昨夜、ただでさえ睡眠の不足しがちな夜行バスの旅で夜なべ仕事をしたものだから、眠くて仕方がないが、どうにか寝落ちしないように気を張っていく。以前の鉄道旅なら、終着駅まで乗り通す場合は心置きなく眠りこけることができたのに、それができなくなったのは、ゲームの恐ろしい副作用と言える。沿線の特徴的な風景、印象に残った事物について調べたりする余裕にも乏しいが、どうやら目の前を流れていく川が阿賀野川らしいということだけはわかった。阿賀野川というと、第二水俣病の発生した川というイメージがある。その汚染源となったのは、道中の鹿瀬駅から至近のところにあった某社の工場なのだそうだ。昭和の汚点として、今は歴史上の事件となりつつある出来事。が、小学校の頃に習った程度とは言え、同じ昭和の時代を生きた人間にとっては、目の前の美しい風景を裏打ちするような惹句より、過去教え込まれた事柄の方が強く胸を打つ。

 睡魔と戦いつつ、黄昏迫る新津駅に到着。時刻は17時を回っているが、日は暮れていない。ここから、柏崎まで行って帰るのが今日最後のミッションとなる。乗り継ぎ待ちの時間はわずかに5分余り。信越本線の列車本数の多さゆえか。それにこの路線、地方としては驚いたことに、快速列車が存在する。日本海沿岸地域の雄・新潟市近郊路線ならではと言ったところだろう。ただ、この快速列車がどの程度の駅をパスしていくのかはよくわからない。残照の中をしばらく走っていくと、窓の向こうはすっかり夜になってしまい、沿線の様子もわからなくなってしまった。ゲームの情報から察するに、確かに停まっていない駅はあるようである。その甲斐あってか、柏崎駅には1時間と20分ほどで到着した。

 越後線への乗り換え時間は5分。地方という印象が先行する新潟県だけれど、この乗り継ぎの良さは驚異的である。それに、使っている車両も今風の新しいものだ。JR北海道や四国のように、普通列車が軒並み古い車両で頑張ることがないのは、痩せても枯れてもここがJR東日本の島であることを物語っているのかもしれない。列車は、途中の吉田までしか行かないので、そこで新潟行に再度乗り換えることになるのだけれど、吉田より新潟方は、暗いなりに都市近郊エリアの雰囲気が出て来る。乗客も増え、たまたま乗り合わせた酩酊した初老のグループの一人は職場の若手の首を絞めたいだのぶん殴りたいだの、聞くに堪えないことを言っている。ただ、彼らの話している内容を盗み聞きした限りだと、2時間ほど前に通り過ぎてきた新津周辺には、JR東日本系の車両製造工場があるのだという。だから、新しい車両が走っているというわけでもないだろうが。

 それにしてもこの越後線、その昔に乗ったことがあるような気がするのだけれど、その記憶が定かではない。想像するに、まだ直江津が長野方面とつながっていた頃、直江津からさらに新潟を目指して乗ったのだと思う。途中の駅には戦国の猛将・柿崎景家の根拠地柿崎城と同じ地名を頂く柿崎城があり、城には行けず駅だけ通過したことが記憶に残っているので、通過したことは間違いないと思う。が、それ以外の印象がない。刈羽とか、話題性のありそうな駅は他にもあるにもかかわらず、その体たらくである。残念なことに、こう暗くなっては記憶をよみがえらせる呼び水となるものも期待できなさそうだった。

 吉田駅近辺から弥彦線をレーダーで回収することも忘れず、21時前の新潟に戻ってきた。出発地点と宿泊地点が同じ駅となるのは私の旅では珍しい。最初に新潟の地に足を踏み入れた時は、前もって宿を予約する習慣がなかったので、ホテル探しに苦労したものだったが、今日は泊まる先も決まっている。後は夕食をどうするかという問題だけだった。できればへぎそばを食べたかったのだが、これまた店を探す手間が煩わしく、遅い時間帯に片足を突っ込みつつあったので、何のひねりもなく餃子の王将で食事を摂って一日を終えた。

つづく

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