雪国の春・その4

 栃木県内に残る未取得のJR線は二つ。日光線と烏山線だ。JR路線としては、いずれも盲腸線である。後者はともかく、前者はそのうち何かの用事があって行くことになりそうな気もするが、東武日光線もほぼ取れてない状態で、二兎を追うものは一兎をも得ないことになりそうなので、この18きっぷシーズンに取っておくことにする。宇都宮から日光まで行って折り返す、それだけの旅である。東武の方は、JR企画きっぷシーズン外に日光白根山を狙うついでで取ろうかと思う。問題は烏山線の方で、こちらは平行他社路線もないので、鉄道移動以外の方策を見つけられなければ、必然的に行って帰るだけの経路となる。多くの人は烏山という町に用事もないのかもしれないが、私にはそれがあった。烏山城である。

 関東近郊路線としてはかなり運行本数が少ない部類に入るのだろう烏山線だが、今日は平日。通勤通学用に設定されていると思しき列車があるので、宇都宮から1時間とかけずに烏山駅前に着くことができた。烏山駅は小さな駅で、駅前にも典型的に田舎町の玄関口といった雰囲気が漂っている。那須烏山市の主要な産業が何なのかは寡聞にして知らないが、それなりに観光に力を入れている自治体らしく、山あげ祭りというのがちょっとした売り物らしい。駅前には山あげそばの看板を抱えた店舗もあったけれど、開店時間前だった。どうも駅そば専門店というより、レンタサイクル業務も取り扱っている観光案内所兼店舗のような雰囲気だ。この際あてにしたいレンタサイクルの方も、もちろんまだ借りることができない。駅から烏山城まではちょっと距離がある。首尾よく1時間程度で消化できれば後の展開が楽になるが、そうは問屋が卸してくれないかもしれない。

 烏山城は、那須資重によって応永25年(1418)に築かれた。伝承によれば、金の御幣を咥えて飛んできた鳥が、その御幣を落とした土地に築城したことにちなみ、烏山城と称したのだそうだ。鳥を、熊野権現の使いである八咫烏に見立てたらしい。瑞祥地名の類ということができるのかもしれないが、いくらかきな臭い性格を有する城の起源説としては、妙に神秘的な話という気もする。

 那須氏の一族では扇の的の那須与一が有名だが、鎌倉幕府の御家人としては、関東でも指折りの家柄だった。しかし、15世紀の初めころ、内紛があり、上那須家と下那須家の二派に分裂し、低迷することとなった。築城者である資重は、この分裂騒動の一方の当事者となった下那須家の初代であった。兄である那須家十二代・資之により排斥された結果だったともいわれているが、後年になり、下那須家を生み出す母体となった上那須家の方がかえって衰退し、下那須家に併呑される形となった。以後は、この地域に割拠する佐竹氏や宇都宮氏と鎬を削ることになるが、小田原征伐の際に時の当主・資晴が去就を誤り、零落した。さらに時代が下って関ケ原の戦いでは東軍に与し、再び大名格となるのだが、またしてもお家騒動でつまずき、改易されてしまった。要所要所で失敗を繰り返した残念さみたいなものは否めないけれど、那須資弥の時に加増の上で烏山城主に返り咲いている辺りにしぶとさもほの見える。

karasuyama1.jpg
 ところで烏山城の方は、資晴の改易後に織田信雄が封じられはしたが、定着せず、那須氏の復帰まで百年足らずの間にめまぐるしく城主が変わった。もともと那須氏が居城としていた時期の烏山城は典型的な戦国山城だったと思われるが、いつ頃近世城郭への改修が行われたのかは詳らかではない。それほど、江戸時代初期の各城主の在城期間は短い。おそらくは、複数の大名家にわたって工事の完成を見たのだと思われる。

karasuyama2.jpg
 現在残る城跡には、関東の城では比較的に珍しい石垣が存在しているのをはじめ、他であまり見かけた記憶のない車橋の跡なる遺構や、山城らしく堀切や土塁の痕跡も残されている。総じて、かなり規模の大きい城だということができそうだ。が、これだけの城を1時間ほどで片づけようとしたのが運の尽き。しかも登城ルートの選択を誤り、城攻めの観点からはほぼ意味なく登って降りるだけのピーク越えをのある毘沙門山経由の道を選んでしまった。これがなければ、もう少し手広く複数の曲輪を見られただろうと思うと残念ではあるけれど、結果的に当初の計画を遂行することはでき、8時半の時点で烏山を後にすることになった。

 そのまま一度宇都宮駅まで戻り、そこから日光線に乗り換え。以前の18きっぷ旅で日光東照宮に行ったときに使ったこともある路線で、その点からはアイテムで済ます手も考えられなくはなかったが、日程が許すなら実際に乗っておこうと思った。日光線の車両は、レトロ調の外観をしていて、見るからに観光路線という感じがする。乗客はそれほど多くなく、日常の足として使っていらしい人もいないではないが、車内で目立つのは外国人をはじめ観光客が中心だった。

nikko.jpg
 日光という日本有数の観光地に向かう日光線ではあるけれど、宇都宮市の近郊を離れ、日光駅が間近に迫るまで、列車は小一時間ほども何の変哲もない田舎町を走っていく。やがて車窓からは、火山風の存在感ある山の姿が見えてくるようになってきた。次に日光に来るときは、登山がメインになりそうな気がするが、あれが日光白根山だろうか。それとも男体山や女峰山?地図と比べてみても、今一つピンとこない。ひとえにweb地図だと地形の高低を読み取れないためだが、どうも日光の街中からだと男体山などが見えているに過ぎない気がする。日光駅に着いた後、東武日光駅も未取得となっていたので、徒歩圏内にあるこの駅を取りに行ったが、路傍から見ても結局山の同定はできなかった。

 ともあれ、日光の二駅を取り、この旅の目的はほぼ果たしたことになる。最後に小山から水戸線に回り込みつつ、東京まで在来線で移動し、そこから先は新幹線を使った。速やかに帰る目的もあったけれど、最近になって生えてきた高輪ゲートウェイ、羽沢横浜国大、御厨といった新幹線から取れる新駅を取る目的もあった。特に羽沢横浜国大は神奈川駅最後の駅となっていたので、無事に回収したことで神奈川県コンプリートも達成することとなった。神奈川が関東最初のコンプリート県となる。今年中に、関東の制覇にも目鼻を付けたい。次の動きとして考えられるのは、千葉・茨城の制覇と東京を起点とする私鉄の回収だが、関東私鉄の多くには中部や関西のそれにあるような1日フリー券が存在しないようで、少し作戦を検討する必要がありそうだ。

この記事へのコメント