氷壁読了

 自宅軟禁のようなことになってしまったので、長らく付き合ってきた「氷壁」を読み終えた。読了まで、買ってから半年くらいはかかったような気がする。沖縄に行く飛行機の中でナイロンザイルが切れるくだりを読んでいたので、そこからでも3か月余りの時間がかかっているのは確実だ。もっとも、ボリュームで言えば上下巻に分かれていてもおかしくないほどの長編小説だし、ザイルが切れるのは序盤の終わり頃の話なので、そこからが長かったのは当然のことなのかもしれない。

 さて、作品解説を読み終えるまで気が付かなかったのだけれど、どうもこの作品は恋愛小説に位置付けられているらしい。確かに山岳小説というには山の場面は少なかった。全11章立てのこの小説のうち、山に行く場面は、ザイルが切れて小坂が滑落死した山行、小坂の遺体を探しに行く山行、魚津が遭難する山行の三回限りである。全分量の30%に届くか届かないかと言ったところだし、大体山岳小説というジャンル分け自体、一般に認識されていないマイナーさのような気がする。世間の本読みから、山は舞台装置なのであって主題ではないと言われれば、ぐうの音も出ない。

 ということで、山岳描写やナイロンザイル事件、その他もろもろに期待してこの小説を読み始めた私にしてみれば、肩透かしを食らった印象は否定できないけれど、戦後という時代の山岳文化の一端を垣間見ることができたのは興味深かった。当時、上高地に行くだけでも随分大変な思いをしたのだなあというのがわかるとともに、過去読んだ作品が軒並みもっと古い時代の話だったことに気づけたのも、発見と言えば発見だった。ざっと並べていくと「槍ヶ岳開山」(江戸時代後期)、「八甲田山死の彷徨」(明治時代末)、「劒岳 点の記」(明治時代末)、「聖職の碑」(大正時代)、「孤高の人」(昭和初期)、「強力伝」(昭和初期)と言ったところで、近世~近代までで止まっていたとも言えるし、過去読んだ作品の装備品その他に関する記述を見ていると、まるで時代小説を読んでいるかのように、現代との隔たりを感じたのを思い出す。それにしても、こっち方面で多作だったのが誰をおいても新田次郎だったということもあり、新田作品ばかりを読んできたのにも驚かされる。「氷壁」は井上靖の作。井上作品ではほかに、「風林火山」と「蒼き狼」を読んだことがあるが、別に好きな作家というわけではない。

 今日、上高地を歩くと、徳澤にある山小屋というかロッジくらいの宿泊施設として、徳澤園というのがあり、「氷壁の宿」を標榜している。実際、小説中には徳澤小屋なるいかにも山小屋みたいな描写の施設は何度か登場するし、明神も一登山基地だったような記述がある。涸沢も同様。涸沢岳からの稜線上にも穂高小屋があると書かれている。小屋の名前は、当時から変わっているのか、小説だから多少設定を変更しているのか定かではないけれど、拠点となる場所はおおよそ昔から変わっていない風であるのに対し、横尾についてはほぼ触れられていなかったような気がする。小坂の遺体を荼毘に付したのが横尾あたりなのかもしれないが、槍と穂高の分岐点としてそれなりに重要地点である風の横尾も、穂高の名を冠する山群に向かうときのターミナルとなる涸沢、徳本峠を越えてきたところに位置する徳澤に比べれば、後年から整備されたものということなのだろうか。

 ところで、物語終盤に徳澤小屋で魚津を待っていたかおるが、穂高の向こうからやってくるはずの待ち人を焦がれて涸沢まで登り、それでも飽き足らずに穂高小屋まで登るくだりがある。歩荷のおじさんに荷を肩代わりしてもらっているが、山に慣れていないかおるは苦労しながら涸沢まで登り、その後さらに穂高小屋まで登るのには3時間ほどを要したことになっている。とったルートは、涸沢岳直下からトラバース気味に進んだところにある重太郎尾根となっている。現在、重太郎新道という激登りの登山道が前穂高への道として存在しているが、涸沢側から登るための道ではないので、たぶんこのことを言っているのではない。おそらく、私も登ったザイテングラートということで間違いないのだろう。重太郎尾根という地名は、現在のインターネット上でもほとんど見つけられないような状態となっているが、わずかにザイテンと重太郎尾根が同一のものとしているサイトもあった。

 話が横道にそれたが、荷物を背負ったおっさんの私と、山慣れない若い娘のかおるとのコースタイムがほぼ同じ。その事実に、「ホタカ小ヤ 20分」のペンキマークを思い出した。やはり昔の人は健脚だったらしい。

氷壁 (新潮文庫) - 靖, 井上
氷壁 (新潮文庫) - 靖, 井上

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