山登ってみよう【縦走東海自然歩道・大平~井出・前編】

 静岡県脱出にリーチがかかった東海自然歩道の旅は、コロナ禍とか諸々の事情により停滞期に入っている。一応、外出自粛は6月の頭で明けているのだが、東海自然歩道よりも優先したい遠征にかまけているうち、6月も終わりが見えてきた。何となく、東海自然歩道に足が向かなくなっているのは、静岡県最終区間へのアプローチに使わざるを得ないデマンドバスというものの存在によるところも大きい。事前に予約がいるので、あらかじめ「行くぞ」という気分を高めて向かわなければならず、何となく計画実行にエネルギーを使うのだ。けれど、いつまでも静岡県内でまごついているわけにもいかないので、行動を開始することにした。

 まずは、新幹線と在来線を乗り継いで、清水駅に向かう。「ちびまる子ちゃん」では、気合の入った買い物というと静岡市に行く場面があるので、旧清水市には田舎町のイメージがあったのだが、初めて降り立つ清水駅前は、ことのほか繁華な雰囲気があった。ここからしずてつジャストラインの路線バスで、前回のゴールである但沼車庫バス停まで移動し、さらに自主運行バス「ココバス」に乗り換え、終点の大平バス停を目指すことになる。但沼車庫から途中の和田島車庫までは、同じココバスでも定時定路線という一般的な路線バス並みの運行形態となっているのだけれど、和田島車庫から大平までは事前に電話予約が必要になる。ギリギリまで日和見する気持ちがあったので、その予約を昨日までに済ませていたなかったのだが、清水駅前でバスを待つ間に、ホームページで案内されている通りに電話してみた。予想していた通り、ほぼ地元の人以外の利用を想定していない雰囲気は電話口からも伝わってきて、やり取りに何となくちぐはぐな部分も出てしまったけれど、どうにか予約はできた。後は野となれ山となれだ。

 しずてつのバスは、途中で興津駅を経由しながら、30分余りで但沼車庫に到着した。まだ記憶に新しいバスターミナルの一画には、一見して自主運行バスとわかるワンボックスが停まっていたので、様子を伺いに行ったところ、やはり和田島行のココバスなのだという。さっそく、その車に乗り込んだ。料金は前払い制で、200円。走行距離の差はあるが、意外なことにしずてつの路線バスよりだいぶん安い。和田島から先どうするのかも聞かれたが、一応予約を入れていることを伝えた。思ったより順調に事が運んだのに安心した。バスは、これまた見覚えのある和田島車庫に到着。同じようなワンボックスが、駐車場内に停まっていた。係りの人に話を通そうとしたら、だしぬけに待ち構えているバスに乗るよう促された。私以外の客がいないパターンはうすうす予想していたが、案の定そうだったらしい。こちらも料金は前金制。但沼から和田島までより、ずっと長い距離を走ることになるはずなのだけれど、100円で良いのだという。安い。

 前回は2時間ほどかけて歩いたはずの道のりだが、バスはそこをさかのぼって、20分ほどで大平のバス停に着いた。バスを降りようとすると、ここから下に向かうのかと聞かれた。もちろん、上に行くと答えた。運転士氏は「やっぱりね」というリアクションだったが、突然予約をいれてきた闖入者の行く先は、運営職員の間で話題になっていたのかもしれない。この辺りは、一応青笹山や高ドッキョウなどのように登山対象となる山もあるので、およそそんなところを目指す客なのではないかと予想されていた節はあるが、同時にそれが関心の対象となる程度には、そういった利用が少ないということか。

 無論私が目指すのは、名のある山ではない。今日のコースは、峠越えこそ何度か繰り返すことになるが、名のあるピークを踏むこともなく、どちらかというと地味な、つなぎの区間と言わざるを得ない。そのわりに登り下りがあるので骨は折れるが、しかもキリのいい中断ポイントに恵まれないので長時間歩行を選択せざるを得なかった。全線踏破を目指すのでなければ、あまり勧められるようなものではない。距離にして約30㎞、予想される歩行時間は8~9時間というロングコースとなる。まあ、前回は前回でゴール後の歩行が長かったので、総歩行時間は今回と似た感じだったような気もするが。

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 9:20、今日の行程をスタートする。すぐに、東海自然歩道の指導標を見つけた。距離こそ示されていないが。「奥山温泉」「田代峠(県境)」と表記されている。地図で見る限り、田代峠まではほぼ一本道のはずである。分岐らしい分岐がないのに加え、縮尺の小さな地図でわかる範囲では、ほぼ蛇行する部分もない、一本調子の道だ。ガイド本などから推定するに、それでも田代峠までの所要時間は2時間ほどになるようだ。簡単そうな道に見えて、登高距離がなかなかのものということか。

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 大平集落は、山間の集落ながらそれなりに民家も多い。休業中のようではあったが、カフェなんかもあって意外に人の気配は色濃いものの、さすがにだんだんと民家はなくなり、茶畑が現れてはそれも消え、普通の林道みたいな道に入って行った。途中、軍艦岩とかかあご岩とか呼ばれる巨岩がある。かあご岩というのは弘法太師伝説にちなむもので、「籠岩」ということらしいが、わざわざ見物しに来るほどのものではない。その割に、最後は行き止まりになるしかなさそうなこの道を、時々車が走っていくのはなんだか不思議だ。ずっと奥まで行けばバンガロー村があるという情報も目にはしているけれど、たどり着いてみればこれまた前評判通り、休業中の雰囲気だった。いちおう、愛知県の棚山高原で見た廃バンガロー村のようなことはなかったけれど。

 1時間ぐらい歩いたところで、自動車の進入を禁ずるゲートに行き着いた。人はその脇をすり抜けられるので何ほどのこともないのだが、いよいよめったに人も通わない道の様相を呈してきた。ここまでの道のり、基本的には車で登れる道なので、むやみやたらに急な坂はなかったのだが、季節が悪い。高温多湿な気候のせいか、体への負荷はかなり高く、思った以上にしんどい。これでまだ1日の行程の4分の1も進んでいないので先が思いやられるが、標高が高くなってきたのと日が陰って来たのに助けられ、体感気温が下がってきたような気がする。

 一般的には無名に近い田代峠だが、それでも標高は1000mを超える。ゲートからさらに30分ほどの間は、なおも自動車規格のダート路を歩いた。途中、一度だけ地道に分岐するポイントがあったけれど、コースが崩落しているとかで、林道歩きを続行することに。YAMAPの地図によると、少なからず回り道を強いられるのがわかるので気は急く。田代峠までは、様子見程度にこなしたい気持ちはあったのだが、そう簡単なものでもなさそうだ。

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 そして、いわゆる普通の登山道が始まった。下草と苔の柔らかな緑が、目に優しい自然の道。はじめは無邪気にもそう思っていた。前日までの雨もあり、若干湿っぽくぬかるんでいるのはいただけない。ここまで結構体力を使っているので、その辺に腰掛けられないにせよ、時々足は止まりそうになる。そして、目についたソレ。視線を落とした先の地面を、小さな物体が尺取ムーヴで移動している。ヒルだ。思いのほか素早い。注意深く観察していると、奴らは、足を止めるたび、どこであろうとこちらに向かって接近してくる。この辺りにヒルがいるという情報もつかんでいたので、念のためブーツにはジョニーをまぶしておいたが、これだけの数がいると分が悪いかもしれない。三重の雲母峰以来の惨劇が間近に迫っているのを察知し、とにかく足を止めずに先を急ぐことにした。

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 結果、田代峠の鞍部にはおよそ予定通りの11:27に到着した。序盤で熱気に喘いだにしては順調だったと言えるのかもしれない。ただ、一応ベンチとテーブルもあるこの峠で憩おうという気にはならなかった。湿り気を帯び苔むしたベンチに腰かけていると、遅かれ早かれ奴らにまとわりつかれそうだ。足早に、峠を立ち去る。

 峠より北は、いよいよ山梨県だ。静岡県最後となる案内看板に見送られながら、新たな県に踏み出す。思えば、静岡県コースを歩いている期間は長かった。最初、愛知県の三河大野から県境を越えて熊まで進んだのが、2015年12月31日のこと。それから足掛け5年の時間を要した。この期間は、大阪への道と二正面作戦を進めていた時期が長かったのもあるが、それにしても予想外に長い時間をかけることになった。静岡県が東西に長いのも間違いなく影響している。さすがは新幹線の駅が6駅もある県と言ったところか。東海自然歩道は、ここから山梨県に入り、富士山の北側を回って神奈川県の丹沢に進むので、新幹線の駅で言うと三島駅や熱海駅の範囲はパスすることになるのだが。茶畑と林道の静岡県コースにはじめて突入した時のことを、懐かしく思い出した。

 対する山梨県コースの評判は、実のところあまり芳しくない。保守状態は良くなく、指導標等も不親切。概して管理水準の低さを指摘されることが多いようだ。整備は行き届いているが、単調な林道歩きの長い静岡県とは好対照である。何となく先行きに不安も感じるが、今日のコースはその試金石となるだろうか。幸いなことに山梨県コースは全線で100㎞余りの長さしかないので、まずいコースであっても今日を含めて4回もあれば決着がつくと踏んでいる。

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 静岡県側とは打って変わって、なだらかな林の中を下っていく。案内の類が峠を越えるやいきなり簡素になったのは気になったが、思ったより歩きやすい道だ。ほっと胸をなでおろす心境である。ところが、すぐに山梨の洗礼が私を見舞うことになった。峠の前後とも渓流に絡む感じの谷筋の道となっているので、何となく湿潤な気配は共通している。そして、岩と言わず倒木と言わず、足元が苔むす風景もよく似ている。が、この下り坂で何と言っても頼りないのは、いかにも年季が入った木橋までもが苔に覆いつくされていることだ。苔が生えているだけなら良いが、半ばまで腐っていて、渡ろうとした途端、バキっと踏み抜きそうな頼りなさがある。最初のうちは、橋を避けて渡渉する道を選んでいたけれど、やがてそうして回避できない橋も姿を現すようになった。意を決して、怪しげな橋を渡る。かなりたわんでいるのが感触としてわかるが、どうにか橋もろとも渓流に落下するという展開は避けられた。

 20分ほど下って、林道出合いにたどり着いた。ダート路というより、作業用道路と言った雰囲気で、土の道ながら完璧に凹凸なく整地された道路だ。饐えたような土の臭いが鼻を突く。東海自然歩道整備用にこうなっているというよりは、何かしら別の目的のため、作業用車両が上部まで入れるよう、最近整地したと見るべきか。路傍の林の中には、東海自然歩道規格のベンチとテーブルを解体したと思しきものも置かれていた。さらに下ると、どうやら工事に従事していると思しき作業員が昼の休憩に入っていた。予想外の方向から得体のしれないやつが現れたという不審の視線を半身に感じつつ、足早にその場を立ち去る。そこからは、まっとうな林道という風情の道が始まった。渓流が道の間近に迫ったりして、慰めとなるものはあるけれど、意外にこれが長い。

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 峠からおよそ1時間。奥山温泉に到着。少し前の区間で通過した油山温泉のような、温泉宿数軒からなる鄙びた温泉地を想像していたのだが、実際には南部町の温泉入浴施設が一軒あるだけの、そっけない温泉地である。ただ、純粋な日帰り入浴施設なのかと思いきや、宿泊も可能なのだそうだ。さらに、そう遠くもない場所にはデイキャンプ場のような施設もあるので、昼から翌朝くらいまでこの地に遊ぶことはできそうだ。しかし、私にはむしろ、建物の入り口付近に設置された自販機の存在が気にかかった。そろそろ昼時。冷たい缶コーヒーでも飲みながら、持参したパンでも食べつつ腹ごしらえしたい。そんな思いはあったのだけれど、入浴するでもなく施設内に入るのに何となくばつの悪さを覚えたので、缶コーヒーは見送った。そしてのちに、この判断を後悔することになる。

つづく

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