ドラゴンレール 駅と疫

 当初思っていたよりも長いものとなっている駅メモとの付き合いも、順調に行けば今年のうちに一つの区切りを迎えるものとなると思っていた。少しずつ増えてはいても、基本的には有限であるはずの駅を取りつくす日は確実に近づいている。どうかすればそれは、年内決着すらあるものと思っていたのだが、予想外のアクシデントにより遅れが生じつつあった。言うまでもなく、コロナのせいだ。

 奥穂高から帰って間もない時、海を見たくなって渥美半島に足を運んだことがあった。その時使ったバスの車内広告によれば、適切に対策が行われていれば、公共交通機関による感染リスクはほとんどないのだという。いろんな立場の人が、それぞれに都合の良い理論を持ち出して物を言っているのが最近の状況という気がしないでもないが、なるほど、密密状態の通勤電車などがクラスター形成の引き金となったという話は聞いたことがなく、あながち間違いではないのかもしれない。もちろん、疫学的に追跡調査することが困難な状況なのでそういう話にならないのだという解釈もできそうだけれど、とりあえずこの、公共交通は安全理論に乗っかってみようと思った。私の場合、ひとたび電車に乗れば一言も言葉を発さないし、旅先での立ち寄り先も人っ子一人いない山の中ようなところが中心となり、夜の街に繰り出すこともなく、食事はコンビニで買ってホテルで済ませることも珍しくないと来ている。図らずも、新しい生活様式を世間に先んじること10年以上前から実践していたことになるので、政府の意向にもかなうものだと思うことにする。

 今回の旅は、もしかすると春頃に実行に移していたかもしれないプランのやり直しに過ぎない。何となく剣呑だが、平たく言うと、東北の掃討戦である。岩手、秋田、宮城、山形にケリをつける。ただし、極力観光は避け、東北最後のロケハンに位置付けることにする。

 というわけで、土曜の早朝に仙台入りすることを目指す。仙台までの道中、夜行バス青葉号の車中から、上信電鉄の総取りを果たした。不思議なことに、乗ったことのないはずのこの路線の駅の一部に取得履歴があった。どこで取ったのかすぐには思い当たらなかったが、胸に手を当て考えるうち、以前に同じバスで仙台に向かった際の車中でアクセスしたものだと思い当たった。そこから、碓氷峠付近の通過時刻を午前2時頃と推定し、その時間に起きてゲーム画面を起動するという策に打って出た。これが図に当たり、富岡製糸場より奥地には乗り入れる見込みのなかった同路線をすべて取ることができた。なお、終着の下仁田駅含む2駅は、高速道路からだと取れないので、レーダーを使った。ついでに、少し夜更かしをして、東武系の細かい末端駅もいくつか回収した。伊勢崎線とかの長い路線はいずれ乗っても良いが、細切れの盲腸線みたいなのは始末に負えないので、とりあえずコロナで進捗が思わしくない中、これが片付いたのも大きかった。後は、東武・西武をはじめ関東大手私鉄にフリーきっぷの類があれば言うことがないのだけれど、どうもそれは調べてみてもなさそうなので、JRの季節もの企画きっぷがお休みの時期にまとめて回収することにしたい。

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 さて、本編の東北攻略戦である。初日はこれと言ってゲーム的な発想が必要となる局面がない。基本的には、ほぼ1日中列車に乗っていれば良い。乗っている時間こそ長いが、仙台から東北本線で花巻まで進み、花巻から釜石線で釜石まで進む。釜石から三陸鉄道に乗り換え、宮古から山田線で盛岡まで戻る。盛岡に入るのが夕方くらいになるので、こういう時期でなければ、遠野観光の一つも盛り込めるだけの時間的余裕はあったのだが、今回は乗り継ぎ待ちで時間を持て余す花巻で花巻城を見に行く以外のことはせず、粛々と列車に乗り続けた。

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 ちなみに花巻城は、城としては決して高名なものであるとは言い難いけれど、東北戦国史において一個の英雄であったと言って良い北信愛にゆかりの城のようだ。もとは前九年の役の頃にまでさかのぼる歴史のある城なのだという。余談だが、秋田県には後三年の駅があるのだが、残念ながら前九年の駅は存在しない。本来はこの地の豪族であった稗貫氏の城だったものが、豊臣秀吉による奥州仕置の頃には威勢を失い、陸奥の南部氏の領地となった。稗貫氏は、秀吉に対しても叛意をあらわにし、一揆に走ったため、一連の騒乱の後に同地を治めることになった南部氏も、政情の安定のためこの地に支配の拠点となる城を求めたものと思われる。この時、古くからの城の改修の任に当たったのが南部氏の家臣であった北秀愛で、父である信愛に先立って亡くなったため、花巻城代は信愛が引き継ぐことになった。

 後に、会津の上杉景勝に謀反の兆しありとして、徳川家康が上杉討伐の名目で東国に向かって出陣した折りのこと。家康にしてみれば、敢えて隙を作ることで政敵・石田三成の挙兵を促し、決戦に持ち込むための口実として上杉に難癖をつけた程度のものだったのだが、事件の火種に近い東北地方では、いち早く東西両陣営に分かれての紛争が始まった。南部氏は東軍に着いた。そして、領土を接する伊達政宗も東軍に着いたのだが、旧領を取り戻すべく南部氏に対して一揆をおこした和賀氏らをも裏で支援していた。政宗は、俗に言う百万石のお墨付きにより家康から東軍への参加を要請されていたが、更なる領土的野心に突き動かされ、一揆勢を裏から扇動していたのではないかと言われている。結局、ことは政宗の目論見通りには運ばず、申し開きはしたが一揆扇動の事実も明るみに出たため、百万石のお墨付きは反故にされている。花巻城は、こうした一連の紛争の際に、和賀氏や稗貫氏の残党による夜襲を受けている。花巻城に籠っていたのは、信愛以下の寡兵だったと伝えられているが、良く持ちこたえ、城を守りぬいた。

 この戦いにより、南部氏による統治の支配は盤石のものとなり、一国一城令が出されたのちも、花巻城は南部藩の支城として存続を許され、明治を迎えて廃城となった。

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 現在の花巻城址は、公園となっている。高台上の城跡で、地形などに古い時代の城郭の特徴をわずかながら残しているが、遺構としてはさほど多くのものない。公園一画に門などが復元されているほか、土塁や堀の跡が一部残されている。

 花巻城跡の見学を終え、時間もいい感じにつぶれたので、本題である駅旅に復帰。ここからは釜石線で東に向かう。岩手県内の鉄道網は、大まかに言って内陸部を走る東北本線と、沿岸部を走るリアス鉄道を南北線としつつ、数本の東西線で連結するあみだくじのような形となっている。厳密には、秋田県に抜ける路線、そして旧大船渡線をはじめとする多数の廃駅があるために一筋縄ではいかないのだけれど、釜石線だって本数がそんなに多くはないので、これを経路に組み込むと旅程の自由度は大きく下がる。それだけに今回、この路線を素通りするのは痛恨なのだけれど、まあ致し方がない。列車は、いかにも日本の農山村というところを走る。東北地方の本線格は、本線格であっても田園地帯を走る区間が長いが、釜石線ではそれ以上に、鄙の風景が車窓に展開されていく。返す返すも惜しいのは、遠野駅で下車できないことだ。遠野市自体はこの地域の中心的都市であり、駅の規模も道中通過するものの中では格別に大きいと言って良い。構内には河童の意匠をあしらった看板が取り付けられている。遠野と言えば河童だ。駅の向こうには、農村ならぬ21世紀の田舎町が広がっているのだと思うが、それでもなんとはなしに、旅情とロマンを感じさせる。

 約90㎞の釜石線を走破し、釜石駅に到着。釜石駅は、JRの駅であると同時に三陸鉄道の駅でもある。前回ここにやって来た時は、大船渡方面からBRTと三陸鉄道を乗り継ぎ、そこからさらにJRへと乗り換えた。もっとも、本来ここに存在しているはずだったJRの山田線は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けており、釜石駅以北は路線バスなどを乗り継いで宮古駅を目指したのだった。現在、この区間の復旧は完了しているが、すでに三陸鉄道に移管されている。これにより、南の盛駅から北の久慈駅までの間が、三陸鉄道によって運営される一本の路線としてつながった。先の三陸海岸走破から1か月ほど後の出来事だったように思う。

 そういうわけで、釜石~宮古間は、ゲーム上の駅データこそすでに収集済みではあるのだが、鉄道路線に実際乗ったことがない。少しの待ち時間の後、特に気負うでもなく、走り出す列車に揺られることになった。元がJRの路線だったため、ピカピカの新規路線という雰囲気ではない。ただ、土地柄、やはり窓の外に展開される風景には、巨大な防潮堤と、真新しい住宅の立ち並ぶ、きわめて人工的な印象の街並みが多い。それでも、人の生活が戻ってきているのは喜ぶべきことに違いないなかった。今日は迂回する形となった陸前高田の旧市街は、今どのようになっているのだろうか。

 釜石宮古間の車窓風景に見るべきものがないとまでは言わないが、観光路線としてはどうしても旧三陸鉄道区間に軍配が上がるような気がする。宮古までの区間を淡々と走り抜け、再びJRの山田線に乗り換えた。前回の旅では、宮古から久慈に向かう関係で長めの乗り継ぎ待ちが発生した宮古駅だが、今回は三セクからJRへの乗り継ぎとなるからか、待ち時間は短く済んだ。日は大分西に傾いている。今も山田線としてJRに残った区間はあまり広くない谷筋を走っており、辺りは全体に薄暗い。車窓を楽しむという雰囲気でもなく、淡々と乗りつぶしがてら、付近に取り残していた岩泉線の廃駅も回収した。例によってアイテム頼みでしのいだが、射程が足りなくなる恐れもあったため、結構ヒヤヒヤした。車などで駅跡に直接アプローチするのでもなければ、三陸鉄道側と山田線側の両側から分け取りにしないと全線制覇はできないのが岩泉線の厄介なところだった。もちろん、今回のコースから届かない範囲は、以前の旅で回収している。

 18時を回る頃、盛岡駅に着いた。通常なら、盛岡の宿というとグランドサウナを選択するところなのだけれど、改修工事のため現在休業中なのだという。このご時世で、廃業でないのはひとまず喜ぶべきところなのだろう。ただ、駅前に人の姿は少ない。本来の盛岡は、東北有数の都市としてもう少し人出があったような気もするし、そうでもなかったような気もする。それでなくても難しいところのある岩手県という土地柄。今日のところはおとなしく、さっさとホテルに逃げ込むことにした。

 部屋にこもり、翌日の計画をおさらいする。明朝まずは、いわて銀河鉄道経由で花輪線に進み、そこから秋田内陸縦貫鉄道などを経由して北上線を使い岩手県に戻る。一関まで戻る頃には、岩手県制覇が完了する。そのはずだった。が、花輪線と北上線の全駅を取ったとしても、予定外の未取得駅が残ることが発覚した。詳細を確認してみると、大船渡線の廃駅であるらしい。大船渡線の、新廃駅。この路線がBRT化して以降、駅の新設・廃止は事実上バス停のそれと同然のこととなったため、実に軽々に駅が現れては消えを繰り返すことになった。新廃駅は、そうして増えたものらしかった。とは言え、曲がりなりにも大船渡線に属したことのある駅は、以前の旅ですでにすべて回収しているはずだ。どうやら、新規開設駅ながら大船渡線がすでに鉄道路線としての格を失ってしまっていることとの整合をゲーム上図ろうとしたため、新設の廃駅という存在が爆誕したらしかった。神居古潭駅のような、求められてゲーム上追加された廃駅もあるのだけれど、今回の大船渡線の数駅は、追加されても誰も得しない駅だと言って良いのだろう。岩手県のあの辺りは、足を運ぶに容易でなく、現地に着いて気やすく見て回れるような名所旧跡の類があるわけでもない。少なくとも今回の旅で回収することは不可能だ。岩手県制覇は、さらに次の旅に持ち越されることになった。

つづく

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