山登ってみよう【縦走東海自然歩道・井出~思親山~上佐野~長者ヶ岳~田貫湖・前編】

 酷暑もようやく鳴りを潜め、秋も次第に深まりつつあるが、東海自然歩道の旅は、晩秋までに長者ヶ岳を抜きたいと思った。長者ヶ岳は、山梨と静岡の県境、富士山の西方に聳える1335mの山だ。朝霧高原の向こうにそそり立つ富士山を、遮るものもなく眺める絶好の展望台として、地元を中心にそこそこ人気のあるハイキングコースだという。が、東海自然歩道の旅でここを抜こうとすると、非常に厄介なことになる。つまり、東の朝霧高原側から登る登山道はアクセスが良く整備状態も良好だが、西側登山道はその真逆なのだ。登山口までのアクセスで頼れる公共交通がないに等しく、そもそも登山道自体も「山と高原地図」の富士山エリアに、破線で表示されるような有様と来ている。

 結局、この問題を解決するために取った手段は過去と大差のないものだった。平たく言うと、強行突破である。前回の歩行は身延線井出駅をゴール地点として終わっている。ここから旅を再開し、まずは駅の北西に位置する思親山を通過する。その後、山を東側に越え、長者ヶ岳西麓に下り、さらに長者ヶ岳に挑む。つまり、山に登って下るを2回する形になる。それだけの話だけれど、日に二度の「登高900m前後の登山」をこなすのは、人生で初めてだ。御在所岳を同じ日に二回登るようなもの、あるいは空気の濃い槍穂高に登るようなものと考えれば不可能とも思えないが、持ち時間は潤沢に確保したかったので、富士市内に前泊することになった。

 金曜の夜、先約の用事が終わった後の21時過ぎ、名古屋駅から新幹線に飛び乗った。目指すは新富士駅。こだましか止まらない駅なので、はやる気持ちとは裏腹に、1時間半ほどもかけてたどり着いたが、新富士駅は新幹線単独の駅で、井出駅に通じる在来線富士駅は徒歩で20分ほど離れた場所にある。新富士駅周辺にはホテルもほとんどないので、地理不案内の暗い街を、半ば勘のみを頼りに歩いた。日常、大都市に暮らしていると忘れがちになるが、夜というのは暗いものだという当たり前のことさえ忘れそうな自分に気づく。結局、ホテルに着いたのは23時直前のこと。チェックインを済ませて、シャワーを浴びたりしていたら、日付も変わるようなタイミングでようやく床に就けた。明朝の起床予定時刻は4時半。睡眠時間がだいぶ足りないのは痛いところだが、今夜の宿はスーパーホテル系列なので、チェックアウトの段取りを気にする必要がないのは楽だ。

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 そして眠ったような眠ってないような5時間足らずの睡眠の後、どうにか寝過ごすことなく行動を開始することができた。5時過ぎの身延線で井出駅を目指す。富士駅のホームで始発を待っていたら、いまでは数少ない夜行列車となったサンライズ何某が富士駅に停車するのを見た。体感的には未明のような時間帯だけれど、サンがライズする時刻は確実に迫っている。実際、列車が富士宮の駅を通過するころには、辺りもだいぶ白んできた。井出駅に着いたのは6:05のことだった。足回りにジョニーをふりかけ、日焼け止めも塗り、YAMAPの起動も忘れない。こんにちは通信も有効にしておくが、9割9分、今日は登山者と出会わない気がする。

 ということで、6:10に井出駅を出発。今日の序盤は、舗装道路をひたすらに駆け上がることになる。富士川の対岸には、前回の最後に歩いた南部町の中心部が見えるが、富士川左岸のこの辺りは、川からいきなり山が立ち上がるような形になっており、人家はなく、道は林道でこそないが、生活道路という雰囲気でもない。

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 その登り口には、蔦性の植物にまとわりつかれた東海自然歩道の看板が忘れられたように立ち、営業をしていないことが明らかな売店・中村屋支店がある。支店を名乗る以上はどこかに本店があるのだろうか。そんなことが気になり、見るともなしに店の建物の方をのぞき込んだ。色褪せた貼り紙類の中に、「思親山にようこそ」と題されたものがあった。概念図が店内にあるというような内容だった。この場所のこの店が営業していない影響は、少なくとも東海自然歩道の旅人にとっては甚大である。

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 夜は明けたが薄暗い舗装道路を30分ほど歩いて、八木沢の集落にたどり着いた。まず神社が目に付き、周辺にある茶畑に気づく。数軒の民家があるだけの小さな集落のようだ。東海自然歩道は、山間に細長く広がる集落と交差するようにして、なお続く道路を山の上へと向かって続いていく。神社のある交差点には、今日この後行き着くはずの二カ所目の集落・上佐野にある店舗の看板があった。一般道路を道なりに進んでいって11㎞の距離だという。意外に近い。

 もちろん、東海自然歩だーは、この先山越えを要求されるので、平地を11㎞歩くよりはだいぶ多くの労力を費やすことになる。車道規格の比較的緩やかな登り坂を淡々とたどる。着実に高度を稼いでいる感じはするが、東海自然歩道は、八木沢集落を抜けたあたりから、ぼつぼつと車道と着かず離れずのスタンスを保つようになってきた。取って付けたような地道を歩き、車道に戻ることを何度か繰り返す。どうせこの登山道も、すぐに車道に合流するんでしょと、たかをくくりながらそれに付き合うが、そんな油断を見透かしたかのように、覚悟の足りない歩行者に斜度のきつい坂道を見舞ってきた。不意を突かれると、意外にこたえるなあと思っていたら、再び前途の視界に擁壁が飛び込んできた。ここで一旦、山道との格闘は水入りになるかと思いきや、林を飛び出た先にあったのは、完全林道規格のダート路だった。

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 東海自然歩道はしかし、林道ではなくコンクリート擁壁の上へと続いているらしかった。さすがに今日は山登りコースである。楽はさせてくれないかと思っていたら、擁壁を登った後の道は、目に見えて傾斜が緩くなった。全く、人の裏をかくのが好きなコースだ。もちろん、道が最後まで緩やかなままで行ってくれるはずもなかったが、体がこなれてきたのか、道の緩急にも苦しまなくなってきた。細かく変化をつけてはくる道ではあるが、道沿いの林相は単調で、大半のところで植林が続いている。

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 途中、植林の木立が薄くなった尾根上で、富士山が見えた。唱歌「ふじの山」そのままに、頭を雲の上に出しているが、さすがにまだ冠雪はしていない。ここまで意識もしていなかったし、そう言えば昨日から天気予報もろくにチェックをしていなかったが、意外に雲の多い天気のようだ。ここ最近の長期予報の延長線上に今日の天気があるとすれば、大崩れは考えにくいが、油断がなかったとは言えない。

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 結局、富士山との邂逅からは30分後、8:47に1031mの思親山山頂にたどり着いた。今日の文字通りの山場は後半の長者ヶ岳なのだが、前哨戦に当たるここまでは、まずまず順調なペースで来ている。思親山という山名は、何となく自然発生的に生じたものとは思いにくかったけれど、後で調べたところによると、ここから近い身延とゆかりの日蓮伝説に起源を求められるのだそうだ。そのまんま、日蓮が両親のことを思ったというような伝説だということだが、親を思う山という山名に、コロナ禍だとか何とかでしばらく会っていない親のことを思い返した。まあ、コロナがなくても年にそう何度も親と会うわけでもなくなっているので、今年が特に異常ということもないのだけれど。

 山頂付近の木は切り開かれており、広場風にはなっているものの、周囲を木に取り囲まれているので展望はない。時間のせいもあるだろうが、山頂に人の姿はない。交通の便の関係からか、一般に思親山登山は内船駅からアプローチする佐野峠起点のコースで歩かれることが多いようだ。そもそも峠にはそこそこ大きな駐車場があるようで、そこからなら小一時間で登れるお手軽ハイキングの山となるらしい。長居するほどの山頂ではなさそうなので、早々に、まずはその峠を目指すことにしたが、30分余りで峠まで下りることができた。

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 事前に聞いていた駐車場は、予想以上に立派なもので、わりとちゃんとしたトイレもあった。山梨県に限っては、東海自然歩道のコースだから良く整備されたということもあるまい。実際、肝心のコースがどこにどうつながっているのかは、この駐車場から先で結構不明瞭になる。どこに行けばコースをたどることになるのかを明示した指導標の類がなかった。YAMAPの地図などと引き比べて、林道ゲートと思しきものがある方向に歩いていったら、とって付けたように「東海自然歩道入口」の導があった。矢印は、林道脇の薄野を指していた。

 矢印に従って坂を下っていくと、唐突にゲートで区切られた道に行き当たった。集落に近いところだと、野生動物による農作物被害を避けるためにこの種の仕掛けがあることも珍しくなく、実際東海自然歩道の他コース上でもしばしば出会ってきたものだ。が、この辺りに農作物はない。幼木の植えられた植林地帯なので、樹木への被害を防止する目的のものだろうか。それにしても、道沿いのコンディションはそんなに良くない。植林樹木というより、背の低い雑木とも背の高い雑草ともつかないものが鬱蒼と茂っている。盛夏の頃には登山道を覆うほどの勢いだったのだろうか、刈草がそのまま登山道上に残っている感じだが、滅多に人が通らないのだろう。至る所にクモが巣を張っている。小型のクモならまだしも、この辺に生息しているクモはわりと大きめのもので、巣も大きい。うっかり顔で突き破ったりすると、顔に糸がべったり張り付いた感じが残って気持ち悪い。ジョロウグモの類だろうか。とにかく、これではかなわんと思いながら、道端に落ちていた棒きれをぶんぶん振り回しながら歩いていったら、ゲート区間は10分ほどで終わった。

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 その先は、普通の登山道が続いていた。鎖付き木段や木橋など、なぜこんなところにこんなものがあるのだろうという、妙に立派な構造物が存在していた。さらに下って大きく育った植林の森に至り、ほどなく上佐野集落の上端部に出た。茶畑が広がっていた。この近辺は山梨県でも静岡県に近い地域なので、茶の栽培には適した気候なのだろう。この辺りで取れる茶は、南部茶の銘柄で流通しているという。上佐野集落に入ったのは、10:16のことだった。

つづく

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