山登って外伝【唐櫃越】

 2020年の大河ドラマは、明智光秀である。かくいう私は、江を最後くらいにして戦国ものであっても大河ドラマは見なくなっているのだけれど、明智光秀ともなれば戦国武将の中でも大物と言って良いので多少なりとも関心はある。光秀という人の生涯を追う場合、年の瀬に向けて大きな山場が連続することになる。たぶん、11月も終わりが見えた頃には本能寺の変をやって、ラスト2回くらいで山崎の戦いをやることになるのだろう。そこで思いついたのが、本能寺を目指して光秀が兵を進めた道を、自分もたどってみようということだった。一般に光秀の進軍経路は、当時としてはごくオーソドックスに老ノ坂越だったと言われている。この道は、以前京都盆地側から歩いてみようと思って天候に恵まれず、そのままペンディングとなっているが、今回はそれとは別に、別動隊が進行したという伝承もある唐櫃越を歩いてみようと思った。

 唐櫃越。ずっと「からびつごえ」だと思っていたのだが、「からとごえ」が正しいらしい。大まかに俯瞰すると、保津峡南側の山塊をたどって阪急の上桂駅付近に至る道、ということになる。実は保津峡の北側をたどるその名も明智越という峠道もあるのだけれど、現状コースの状態があまり良くないという。先だっての東海自然歩道のこともあって、しばらくの間荒廃した山はたくさんということで、唐櫃越を選択することにしたのだった。

 歩行時間は、そんなに長くならない予定なので、在来線で京都駅まで移動。まずは駅前のバス総合案内所内にある進々堂でお弁当代わりのパンを購入。用を済ませてもう一度構内に入ると、ちょうど園部行きの山陰本線が出発しようかというタイミングだった。福知山くらいまでは山陰本線も乗り継ぎが良いので、登山口付近までのアプローチは実に容易だ。9:28、亀岡駅に到着した。

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 普通のガイドブックなどによれば、唐櫃越の最寄り駅は、同じ山陰本線の馬堀駅だとされている。ついでに、上桂から馬堀に向かって歩くコースとされていることが多いのだけれど、それでも亀岡までやって来たのはわけがある。亀岡城(当時は亀山城)は、光秀最後の居城だった。つまり光秀は、この城を発った後、その足で京の本能寺に向かったことになるわけだ。今回の山行のスタート地点は、そういうわけで亀岡城とすることにした。

 城跡は、亀岡駅のすぐ近くにある。ただ現在は、数奇な運命をたどった末に大本教の本部となっており、他の城跡ほどホイホイ気楽に見学できる状態にはなっていない。別に教団に申し込めば見学させてくれることはわかっている。しかし、それ用の施設として整備されているわけではないので何となく敷居が高く、私もまだ中をちゃんと見たことはない。今回も、城の見学はせずに、大本本部の入口を冷やかした9:40をこの山行のスタートとした。

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 まずは、亀岡市東部の山並みを目指さなければならない。深い考えもなく、一番わかりやすい道順で山すそまでアプローチしようとしたところ、旧山陰街道の成れの果てらしかった。大して広くもないのに府道格という、昔からの街道にありがちな状況を地で行く道だった。交通量が意外と多いわりに歩道もないので、決して歩きやすい道ではないけれど、不案内の土地を行くには都合が良いのは確かだった。さすがに、重伝建というほどのことはないにせよ、歴史を感じさせる家並みも部分的には確かに存在している。
 
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 1時間ほど歩いて、道すがらの神社で装備を整える目的の小休止。篠村八幡宮という古社である。足利高氏が鎌倉幕府を倒すべく兵を起こした地と言われている。落ち着いた風情があるが、全国的に有名な神社ほどの社格は感じられず、現在は静かな村社のような風情を湛えている。境内から少し離れた場所には、旗立楊という木もある。足利高氏の頃からずっと生えているものではなく、挿し木によって700年ほども生命を永らえてきた、いわばクローンらしかった。

 今日は、唐櫃越を踏み越えたその後、本能寺まで歩くつもりでいる。現在、本能寺は京都市役所から御池通を隔てた三条寺町の一隅に移転しているけれど、信長が宿舎にしていた頃は四条堀川にあった。峠越えさえ終われば、後は地図なしでもたどり着けるような場所だ。ただし、所要時間は今ひとつ読めない。峠を越えるのに3時間。峠を越えてから1時間余りと言ったところだろうか。時計を見る。時刻は10:33。余裕を見ても、夕刻までに少し時間を残してゴールできそうだ。もっとも、今日は少しばかり早くゴールできても、時間のつぶし方に頭を悩ますことになりそうだ。

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 神社の境内を出、これから越えることになる京都西山の稜線を右手に見ながら、歩を進める。亀岡市の郊外地域だが、丹波路らしい鄙の風景が広がっている。唐櫃越の入口は、その少し先の整然と立ち並ぶ新興住宅地の外れにあった。地形図から容易に読み取れる情報ではあったけれど、最高所までの道のりはさほど遠いものではなさそうだ。登りで難儀することはない代わりに、山地の厚みもそれなりにありそうだ。今日の山行は、どんなものになるのだろう。最近、どこの山でも見かける「熊出没注意」の呼びかけが取り付けられたゲートをこじ開け、山中に分け入っていく。ここのチラシは、ヒグマではなく、ちゃんとツキノワグマのイラストを使っていて好感が持てた。亀岡の人は、クマのことをちゃんとわかっている。

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 始まった道は、想像していた古道風のものとは少し雰囲気が違っていた。杣道とハイキングコースの中間ほどには整備された道。考えてみれば、江戸時代頃まで使われていた旧街道は、もっと南の山陰道なのだ。唐櫃越も、昔からの峠越えの道には違いないのだろうが、むしろ間道に近いようなものだったのだろう。モータリゼーションの時代を迎え、いよいよ廃道のようになったが、それでも細々とハイキングコースとして歩かれ続けてきた、と言ったところなのかもしれない。本能寺を目指し、峠の道を越えた光秀の心中はどのようなものだったのだろう。そもそも彼はなぜ謀反を考えたのか。急の思い付きではなさそうだが、やはり光秀、ぎりぎりまで謀反のたくらみが露見することを恐れていた節はある。信長は怖そうだからな。

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 道の方は、出自が影響したものなのか、きつい傾斜でグイグイ高度を上げていく感じの道ではなかった。緩急をつけながら20分ほど登って稜線に出た。最初のチェックポイントみすぎ山はすぐそこにあった。ここまでが思った以上にあっけないが、ひとまず第一次昼食として、進々堂で買ってきたピロシキを頬張った。頭上をごうごうという音とともに、風が吹き抜けていく。今日の気温は比較的高い感じではあるけれど、冬が近いのを感じさせる風だった。直接吹かれるわけでもなく実害はないはずなのに、何となく不安を煽る風だ。時間が余ったら適当に観光することとして、先を急ぐことにした。

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 しかし、そんな私の焦りにも似た思いとは裏腹に、みすぎ山から先は実に穏やかな道が続いていた。稜線上に出てしまったこともあってほぼ平坦、純粋なハイキングコースというより車すら通れそうなダート路だ。道を間違っていないか心配になるほどだが、要所要所でガイドがなされている辺り、どうやら唐櫃越として整備されたハイキングコースであることは間違いないらしい。ある程度の眺望も利き、くねくねと蛇行する保津峡の流れと、それを跨ぐ山陰本線の鉄橋が見える。駅取りの旅では、保津峡駅を取るために気合を入れる区間だと思われる。観光シーズンなどで保津峡駅に止まる列車なら問題にするほどのこともないが、この駅を通過する列車の場合、断続的に迫りくるトンネルのせいで電波は途切れがちになり、電波が復帰しても位置情報を掴みなおすのに手間取ったりしているうちに、保津峡駅エリアが終わっていたりする。上空方向から見下ろすと、なるほど、狭隘な谷間が続いているものだ。

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 さらに20分ほど行くと、ついには舗装道路に出くわした。なんだか想像していたのと勝手と違うが、今は気楽に歩けることを良しとしよう。ちなみに舗装道路区間は20分ほど歩いたところで終わりを迎えた。舗装された道はなおも続くが、唐櫃越の道は脇の山道にそれていく。わがままを言うようだが、この地道区間の状態が良くなかった。近年の暴風雨によるものなのだろう、道には倒木が多かった。通過するのさえ難渋するほど壊滅的に山道が破壊されているところはないのだけれど、倒木に前途の視野を遮られて、コースがわかりにくくなっている箇所もしばしばある。一応、ピンクテープが木に巻き付けられていて、それをたどれば先に進めるものの、ところどころに紛らわしい白テープも混在していて、前後区間との整備状況の落差が激しかった。

 要所要所、進行方向左手に存在感を示す山がある。いつか登った愛宕山だ。夏の登山だったこともあってかなり苦戦した思い出のある山ながら、こうしてみるとそんなに大きな山には見えない。されど、京都盆地西部にその威容を誇示するかのようで、京都周辺の山の中では比叡山と双璧をなすと思う。

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 いささか歩きにくい区間を踏破し、12:44に沓掛山山頂に到着。コースからはわずかばかり外れる山頂だけれど、さほどの回り道でもないので寄ってみることにした。三角点がある以外、これというものもない山頂だった。残念ながら、大展望をものにできるという感じでもないけれど、この辺りまで来てようやく、京都の市街地を視認できるようになった。展望その他にあまり変化のない道のりだったので、歩行時間のわりに遠く感じられたけれど、どうやら終わりも見えてきたと言ったところか。

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 そして20分ほど進んだところに、コース中屈指の展望スポットがあったので、近くのベンチに腰を下ろした。京都の町は、条例の絡みもあって、よく目を引く高層建築がなく、場所の同定をしにくい。東山からだと、距離的に近い京都タワーを起点に場所を探れるのだけれど、この位置からだと、背の低いビルがびっしり立ち並ぶ盆地という以上の印象は持ちにくい。むしろ、足元とも言える盆地西側の町並が気になる。観光ガイドなどで洛西と呼ばれる地域…ではなく、桂坂のニュータウンが目を引く。東海自然歩道を歩いたとき、京都周辺では異例とも言えるほどに真新しい、あの町の一隅を辿った。それは、東海自然歩道ほぼ全線を通してみても他に類を見ない道だったのだけれど、あそこを歩いたのも、もう4~5年ほど前のことになる。不思議な感慨が沸き起こる。

 思えばあの時、ニュータウンに入る直前まで竹林の里山のような薄暗い道を歩くことになった。展望のベンチから先は、その時のことを思い出させる竹林の中の道となっていた。思えばあの時の東海自然歩道は、今歩いている唐櫃越の派生尾根を突っ切っていたのだと思う。もうそろそろ、この山道も終わるのだろうか。そんなことを考えながら20分ほども歩くと、不意に墓地の外れに出た。活気あふれる風景とは言えないけれど、人里に戻ってきた感じはする。なおも下ると、ついに普通の住宅地に出た。山道に入る前もそうだったけれど、生活の場と山が非常に近接した地域らしい。

 そのまままっすぐ歩けば阪急上桂駅というところで、北方向に転進する。観光地として名高い苔寺や鈴虫寺に出る道だが、今日はそちらには立ち寄らない。とりあえず、京都バスのターミナルの隅っこに腰を下ろした。ここまで来れば、この先に山道歩行の入り込む余地はない。YAMAPと駅メモの並行起動が祟り、スマホのバッテリーの消耗が激しかったので、ここまではモバイルバッテリーにつないだままにしていたのだけれど、ケーブルを抜き、靴を登山用のそれから普段履きのものに履き替えた。ここから先は、ひたすら街歩きが続く。京都の中心地は指呼の距離。敵は本能寺にあり。

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 かつて京都一周トレイルを歩いた時とは逆に、松尾大社前まで歩き、神社に立ち寄ってから、東進。桂川を渡った。この付近では、片側1車線対面通行のあまり広くもない幹線道路と言った雰囲気だ。歩道も広くない。けれど、この道はやがて京都の目抜き通りである四条通へと続く。三菱自動車の大きな工場の南側に差し掛かったところで、ついに道は片側2車線の大道になった。なおも、東へ東へと進む。いつぞや歩いた三条通と違い、四条の通りは行けども行けども現代風の都市の道で、進んでいる実感に乏しかったが、西院の駅を通り過ぎたあたりで、ようやく何となく見覚えのある風景に差し掛かった。山陰本線の高架をくぐり、四条大宮の駅を見て、四条堀川の交差点を渡った。四条通と交差する南北の通りは、鞍馬街道と呼ばれ、賀茂川に突き当たった後は、これもいつか歩いた東海自然歩道に行き着く。

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 もちろん、今日はそんなところまで行かないが、この鞍馬街道を少しだけ北に上がった堀川高校の東側に、かつて本能寺があった。四条通歩きが思ったより長く、足も痛くなってきたが、歩くまち京都の看板が「歩いて楽しいまちなかゾーン」と言って私を迎える。現在の本能寺跡は、老人ホームとなっていて、その敷地内に複数、そこが本能寺の故地であることを示す石碑が立っている。そのうちでもたぶん古い方の一つなのだろう、北東角の石碑にたどり着いたところで、今日の旅の締めくくりとした。

 時刻は16:01。日暮れまではあと1時間と言ったところか。もう少し時間があったなら、地下鉄東山駅南の白川沿いにある光秀の首塚まで足を運ぼうかと思ったが、ここからだとまだ小一時間はかかる。いささか緩慢になってきている足の運びで日没までにたどり着ける自信がなかったので、光秀の首塚は、胴塚とともに別の機会に尋ねることにした。

 ところで後日、くだんのドラマを見たところ、11月も下旬だというのに悠長に叡山を焼き討ちにしていた。どうやら、コロナ禍で撮影が遅れに遅れたせいで、年を跨いで放映されることになったのだそうだ。その分、本能寺も遠ざかったことになる。

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