令和最初の九州旅・その4

 大都市近郊で鉄道路線が増え、それに属する駅が増えるというのは良くある話である。首都圏は言わずもがな、政令指定都市を抱える大型県の周辺でも、ごく当たり前のようにそういうことが発生する。古くから100万以上の人口があった福岡市周辺で路線数が多くなるのも当たり前のことなのだが、こと福岡に関しては、他の地域にはない傾向が見られる。一般には、地域の中核となる都市の玄関駅をハブにして、放射状に路線が四通八達していくことになるのだけれど、福岡の場合、県都の駅である博多駅から路線が広がっていくのではなく、県内東部の筑豊地方に属する周辺市町に蜘蛛の巣のようにローカル線網がめぐらされていて、ものによっては福岡市をかすめもしないこともあるなど、独特である。土地勘のない旅行者には、どこをどんな路線が通っているのかを非常に把握しづらい。それほど詳しく調べたわけではないが、これらの路線は福岡市と周辺のベッドタウンを結ぶために敷設されたものではなく、炭鉱開発の時代、筑豊地方の鉱山を行き交う物資を輸送するために整備されたことに出自が求められるのではないかと踏んでいる。

 ただ、普通の旅人がこれらの路線を自在に乗りこなす必要に迫られるかといえば、そんなことはない。基本的には博多駅に発着する本線格の路線や新幹線、場合により並行する西鉄などの私鉄を使えば十分なのであって、数多いローカル線に乗る機会は、簡単には想像できない。が、そうも行っていられないのが駅の思い出集めの旅である。駅の先に目的地はなくても、駅に行くことそれ自体のために、これらの路線を攻めていかなければならない。効率的な乗り回し方を考えるのも面倒くさくなりそうな路線図を描く福岡県内の制覇を考えるにあたって、今回で完全決着とは行かないまでも、とにかく目に付くところから一つずつつぶしていかざるをえまいと考えるに至った。特にそれは、JRに限らずほとんどすべての鉄道路線に乗車可能な九州満喫きっぷを持っている今回のうちに目鼻を付けておく必要がある。そこで今日は、福岡県内のやたら細かい鉄道路線を、専らそれに乗ることを目的としてあっちこっちへ行ったり来たりする日とした。完全に、乗り鉄の旅である。計画は、事前に机上で子細に検討したが、その結果、行動予定表なしではいつどの路線をどのように乗り継いだら良いのかさえわからなくなりそうな計画が組みあがった。しかも、今のところ復旧見通しが立たないまま長期運休状態に入っている日田彦山線のような路線を回収するという問題を解決するために、アイテム使用のタイミングまで事細かに設定したものだから、複雑怪奇はここに極まっている。

画像 朝5時前の博多駅に、駅の戦士たちが集ってくる。私が乗る列車は5時ちょうどにこの駅を出るはずなのだが、その時が迫ってきてもなかなか博多駅のドアは開放されなかった。こんな早い時間帯に駅を出る列車があるのは、始発駅ならではなのかもしれない。我が名古屋駅には、当駅始発の列車がないせいか、ムーンライト系列を除けば6時を回らないと列車がやってこないような気がする。いや、東海道本線に限って言えば名古屋駅は通過駅に過ぎないのだが、考えてみれば関西本線や中央本線は名古屋駅が始発駅となるはずなのに、これらもせいぜい6時前後にならないと名古屋駅を出発しない。JR東海の営業方針によるものなのだろうか。

 まずは鹿児島本線を小倉方面に向かう。過去に利用したことは一度や二度ではない路線だけれど、同時に九州を離れるときには博多から新幹線に乗ってしまうのが常なので、意外にも博多近郊から小倉までの区間はこれまで取り残してきてしまった。ただ、このタイミングで鹿児島本線を仕上げるというより、まずは戸畑駅まで向かう心づもりだ。最初に狙うは、通称若松線。折尾駅から始まる盲腸線で、正式には筑豊本線の一部ということになる。駅メモ的には盲腸線があまりうれしくないので、戸畑駅と若松駅を結ぶ渡船を利用して始発駅から一気に筑豊本線を攻め上げるつもりでいた。が、分岐点となる折尾駅を目前にして鹿児島本線と若松線の乗り継ぎが思いのほかに良いことが判明した。今日はどうせもう一度小倉から博多に進むつもりでいるので、折尾から鹿児島本線を外しても実害はない。そしてここで若松線攻略にいち早く着手すれば、後の行程が楽になるのではないか。乗換案内サイトでこれ以降の乗り換えを調べてみると、少なくとも以後数路線の乗り換えまでは当初の計画よりも優位を保てそうだと分かったので、急遽戸畑駅まで進むのをやめて若松線に入ることにした。さようなら、若戸渡船。

画像 若松線に属する駅は、若松駅も含めて6駅しかなく、しかも駅間の距離はかなり短い。あっという間に若松駅にたどり着いた。改札には、そんなに職務熱心とは思えない感じの駅員がいて、たぶん地元民なのだろう顔見知りらしき駅利用者と雑談をかわしていた。一応満喫きっぷを提示して改札を出たが、ほとんどこちらの様子を見ていないだった。とりあえず、駅舎の外に出てみる。まさに都市郊外の端末駅を地で行くような、地味で小さな駅である。駅前のロータリーにはタクシーが止まっていたが、その広さのわりに人気がなく、がらんとしている。まあ午前7時前という時間帯だし、仕方がないところか。それにしても、もしこのゲームをはじめなければ、私はこの駅に来ることがあっただろうか。たぶんなかったに違いない。どうかすると、今回ここにやって来たのだってちょっとしためぐりあわせの妙だったのかもしれないのだから。若松線は、たぶん対岸の鹿児島本線を行く旅行者からのものと思われるレーダー砲撃に頻繁にさらされているようだった。

画像 若松駅で若干の時間ができたので、もう一度、今の時間から若松駅を出発したとして、今日のこの後のスケジュールがどのようになるのかを確認してみた。結果、田川伊田駅からの列車本数が少ないため、ゴール時間には何の影響もないことが分かった。ちょっと悔しいところだけれど、この何もない駅で足踏みしていても仕方がないので、先に進むことにする。まずは直方駅まで筑豊本線で移動。その後、平成筑豊鉄道伊田線に乗り換えて金田駅まで。並行する福北ゆたか線をレーダーで取っていく。金田駅からは同糸田線で田川後藤寺駅まで進む。道中、レーダーを使って取りこぼしとなる伊田線所属の駅、上金田、立花、田川市立病院、下井田を回収。さらに田川後藤寺駅からJRの日田彦山線に乗り換えて一駅だけ先の田川伊田駅まで移動。再び平成筑豊鉄道の田川線に乗り換え。後は基本的に行橋駅まで田川線に乗り続けることになるが、途中の赤駅~油須原駅間で、レーダー射程を最大にして日田彦山線の豊前川崎、西添田、添田、勧遊舎ひこさん、豊前桝田を回収。実は昨日、久大本線に乗った時に筑前大石駅からも日田彦山線南部の駅を取っていたため、形の上ではこれで日田彦山線の不通区間は全通させたことになる。なんだかインチキ臭いけれど。

 平成筑豊鉄道は、もとをただすと国鉄の路線だった伊田線・糸田線・田川線を継承して発足した鉄道会社なのだそうだ。名前は、同社の設立が平成元年の出来事だったことにちなむようである。国鉄民営化が昭和62年4月1日のことだったので、2年足らずの期間は、これらの路線がJRの所管路線だったこになるが、いずれにせよその後を受けた平成筑豊鉄道は、文字通り平成の申し子のような鉄道事業者だったということになる。それが今、令和という新時代を迎えるに至っている。なんだかここ筑豊地方は、良くも悪くも昭和だの平成だのの時代の空気と結びつく何かを宿しているような気がする。筑豊と言えば、昔社会の事業で習った筑豊炭田のイメージだし、これは昭和の時代に隆盛と衰退を見た。そこを行く列車は、平成の幕開けとほぼ同時に産声を上げた。先入観をもって見られるという弊害はあるのかもしれないが、特定の時代区分とリンクして捉えられることは、まんざら悪いことではないような気がする。

 さて、令和という新時代を象徴することになる地は、日本のどこに生まれるのだろうか。ちなみに筑豊と言えばボタ山のイメージなのだが、現在の筑豊地方には見るからにボタ山でござい~という感じの山は見当たらなかった。現在ではその多くが植生に覆われ、素人目には普通の山と区別がつかなくなっているらしい。さらに余談で田川線には変わった駅名が多かった。今川河童駅とか源じいの森駅とか。もう一つ特徴と言えば、この近辺を走る列車の車中には、「車内の床に座り込むな」だの、「ごみを車内やシートのすき間に捨てるな」だのと言った貼り紙が多い。今は休日の朝方という時間帯なので乗客の姿もちらほらと言った感じだけれど、普段はわりと殺伐とした雰囲気があるのかもしれない。そんな中にあっても、マスコットキャラクターのちくまるだけはかわいらしい。

 あれこれ思索にふけりながら、行橋駅に到着。日豊本線を城野駅まで移動し、ここで北九州モノレールに乗り換え。乗り換えの際、ルートビューンを使って日田彦山線のうち城野―上伊田間を開通させた。これでほとんど実乗しないうちに日田彦山線とは決着をつけることができた。日田彦山線は、岩石城攻めを実行に移す際に利用する目があるので勝負を焦ったかもしれないという思いはあるが、列車に乗った実績はまた改めて作ればよいかと思うことにした。

 さて、城野という同名駅がJRとモノレールの双方にあるので、簡単な乗り換えかと思っていたが、実際には数百メートルくらいは離れた、事実上全く別の駅なのだった。それでも計画を破綻させることなく乗り換えを果たし、先に南端の企救丘駅まで移動し、その後小倉駅まで折り返した。ここからは博多方面に戻り、後は香椎線と勝田線(廃線)を回収する心づもりだけれど、まずは腹ごしらえと、立ち食いうどん屋で屋号にもなっている玄海うどんを頂く。悪くはなかったが、その後ホームに降りて行った際、立ち食いとんこつラーメンの店があるのを見つけ、ちょっと早まったかなと思った。

 小倉駅から、鹿児島本線でもう一度博多方面に戻る。折尾駅まで進んだところで、鹿児島本線の全駅奪取が完了し、門司港から鹿児島中央までがつながった。まあ実際には、八代から川内までの元鹿児島本線区間が現在では肥薩おれんじ鉄道となっているため、物理的に一本の線でつながるというわけにはいかないのだけれど、九州の背骨とも言える線を全て押さえたことについては感慨深い。そのまま、香椎駅まで行って香椎線を制覇。沿線では、一度香椎神宮に行ってみるのも良いかなとは思うのだけれど、それ以外いどういったものが近くにあるのかよくわからない、そんな地味目の路線である。ちなみに、終着駅は宇美駅。むしろ山間部にある。この香椎線沿線には、かつて勝田線という路線があった。かつてと表現した以上、現在は廃線となっているのだが、この場で話題に上せるということは、ゲーム上に廃駅データが存在している。それがどんな路線だったのか皆目見当もつかないが、香椎線周辺を徘徊しながらこれを回収し、最後に長者原駅から篠栗線に乗り換えて博多に戻る。これにて、九州の旅は一巻の終わりである。

つづく

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