姫の旅(前編)

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 まだ熊野古道伊勢路が完結を見ていない段階だけれど、そろそろあっちも交通費が高くつき始めてきたので、空き時間にもう少しお手軽に歩ける古道はないかと物色した結果、姫街道に行き着いた。姫街道は、東海道の見附宿と御油宿を結ぶ脇往還で、東海道の本線が浜名湖の南側を伸びていくのに対し、北側に延びる。名の由来は、お姫様の利用が多かったからだと言われている。もともとは、古道歩きと言いながらも山要素を入れたかったので、三ケ日から本坂峠を越えて豊川稲荷にゴールすればよいかと思っていたが、それだと古道要素が薄いので、関所跡がある気賀から歩くことにした。

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 というわけで、JRと天竜浜名湖鉄道を乗り継いで気賀駅に到着。天浜線と言えば六角精児がうなぎ弁当でも食いながら乗っていそうなローカル線のイメージだった。ところが、駅で待ち構えていた列車は萌え萌えキュンキュンのアニメチックなラッピングの車両だった。あしらわれているキャラクターは、音街ウナという娘さんらしい。天浜線の多くの区間を占める浜松市にヤマハとゆかりがあること、そして言わずもがなうなぎの名産地であるから音街ウナなのだろうか。ウナギの被り物をしているので、ウナギ要素はわかる。音楽要素はどこにあるのだろう。

 ちょっとばかり鄙びたローカル線の風情は失われたものの、車中に客はそんなに多くない。しかも概して乗客の年齢層は高そうなので、そこは田舎を走る列車の雰囲気をよく表わしていた。この路線は、その昔の国鉄二俣線なのだという。おそらく、私は国鉄時代のこの路線を知っているはずだ。当時から田舎の垢ぬけない路線という印象は持っていた気がする。そんなことを考えながら列車に揺られ、駅間の短い路線を行くこと十数駅。気賀駅に降り立った客は私以外にただ一人だった。ボックスシートの対面に足を投げ出し、大音量でパズドラをプレイしていた荒んだオーラを身にまとう半グレのような男。あいにくと駅の周囲に人の気配はなく、絡まれたらいやだなと思っていたが、男は路線バスに乗ってどこかに行ってしまった。

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 素行の悪い男の登場により、空気がささくれ立った感はあったものの、気賀駅はレトロな空気を漂わせる感じのいい駅だった。ただ、駅の建物周りにはレトロを通り越していささか時代錯誤気味の幔幕が幾重にも取り付けられている。関所のあった土地だし、それにちなんでいるのかもと思ったが、それにしては色が赤すぎる。よく見ると、井伊直虎にちなんだものらしかった。そういえばそんな大河ドラマもあったなあと、妙な感心をする。しかし、今年の大河は近年ではまれにみるビッグネーム明智光秀である。光秀と比べたら、どれ程の人が井伊直虎を覚えているだろうかと思うと、少し切なくなった。

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 気賀関所跡は、駅から数百メートルほど離れたところにある。関所跡にたどり着いたところでちょうど9時になったので、ここを本日のスタート地点とする。関所跡は、表通りとなる国道362号から少し引っ込んだところにある。目立たない看板に導かれて路地裏のようなところに入り込む。しかし、その先は民家の庭先になっていて、関所跡のものと思しき建物はかけらほども見当たらない。不審に思って周囲を見回すと、当時の細江町教育委員会が残した看板が目に付いた。想像するに、当時の関所の建物が、改修を重ねて今も民家の一部として断片的に生き残っており、それが切妻破風の屋根なのだと判断した。言われてみればそのようにも見えるが、言われなければ気づかないくらいのものとも言える。

 箱根の関所みたいなのを想像していたので、ちょっと拍子抜けしてしまった。気を取り直して、再スタート。東海自然歩道しかり、伊勢路しかりで、決められた経路をたどる部分にそれなりの重きを置く歩き旅では、コースのトレースにかなりの労力を払うことになるし、それでもミスコースしてしまうことが珍しくない。この姫街道ウォークでもそこは心配だった。比較的マイナーなルートの、市街地区間が多くなることが予想できたので、かなり苦労することを覚悟していた。が、ありがたいことにYAMAPにも姫街道コースの地図が存在していて、コースタイムこそないけれど、その経路も明示されていた。もう一つうれしい誤算だったのは、自治体が現地に表示しているルート案内もかなり充実していたことだ。これだと今日は、よほどのことがない限り道を間違えることはなさそうだ。意を強くし、テクテクと歩を進める。

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 姫街道は、時に国道に姿を変え、時にその裏道になったりしながらも、おおむねは不可解に屈曲したりすることもなく、素直に西に向かって伸びていく。スタートからしばらくは、そのまま国道をなぞりながら歩けばよかった。当然、車も行き交う極めて今風の道だ。ただ、沿道には意外と街道時代の記憶をとどめるものも多い。旧本陣の跡に整備された公園などがそうだ。そのほか、街道の歴史と関係があるのかないのか、古くからの遺物や史跡などについて解説した看板もちらほらと目につく。想像以上に、歴史ウォークの色彩が鮮やかで、なんだか楽しくなってきた。

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 ただ往時の姫街道は、ずっと今でいう国道362号沿いを通っていたわけではない。言い換えれば、浜名湖北岸のラインを通っているわけではない。今日、気賀まで天浜線の列車にのんびり揺られてきた身にすれば、そういう経路の方が安閑と歩けて良いコース設定のようにも思えるのだけれど、実際には天浜線の駅で言って寸座駅の北辺りはちょっとした丘陵によって東西が隔てられており、姫街道はその高まりを越えていく。引佐峠と呼ばれるらしい。もちろん何百メートルという高まりではないけれど、前後区間には山道らしさがあり、車の入り込まない道はいまだに街道時代さながらのような状態に整備されている。また、現地の解説板が物語る通り、この付近には奥浜名湖を見下ろす風光明媚のスポットがある。冬の日差しの中にきらめく浜名湖の湖面が美しい。もちろん、そこから見えるのは令和の日本の風景。湖水の向こうには、この地域で指折りの遊園地、浜名湖パルパルの観覧車が見え、部分を切り取るととても現代的だ。

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 そんな風景がある一方、道の脇には賽の神や薬師堂など見るからに江戸時代頃から残されていると思われる遺物や、姫岩のように往古のちょっとしたエピソードを残す場所もある。そして道は、若干のアップダウンを繰り返しながら林の中へと進んでいく。林に入ると、いよいよ街道時代の雰囲気は色濃くなる。特にこの辺りで面白いのは象鳴き坂という坂。わりに知られた話で、江戸時代中頃の享保14年(1729)に、幕府が広南国から象を購入した。時の将軍徳川吉宗の発意によるものともいう。広南国は、今のベトナムなので、この時に買い入れた象はアジアゾウだ。もちろん当時の日本では象など珍しかったから、この象は天皇にも謁見することになり、それに伴って官位を授けられたなんて言うエピソードもある。この時の象は、その後は主に徒歩で江戸に移動することになり、この際姫街道を使ったと言われている。そしてこの象鳴き坂に差し掛かった際、巨躯を誇り物に動じなさそうな象が、あまりの急坂に悲鳴を上げたのだそうだ。現地に行くまで、眉に唾しながらこの話を聞いていたけれど、なるほど、なかなかの坂である。東から歩いてくると象鳴き坂は下る形になる。体力勝負は避けられる反面、膝が笑い出しそうな急坂だ。ちなみに象の方は、当然のことながら飼育費用がかさむことが幕府の悩みの種となり、数奇な運命をたどったのちに払い下げられた先で死んだと伝えられている。それでも20年ほどは生きたようだ。当時の飼育下での象生?20年が、長いものなのか短いものなのかはよくわからない。

 象鳴き坂を下り切った先は、ミカン畑になっていた。静岡と言えば茶畑というのは、東海自然歩道歩行の結果植え付けられた印象である。ミカンも静岡の名物には違いないが、特にこの地域のミカンは三ケ日みかんとしてブランド化されているので、茶畑がほとんど目につかない一方でミカンの木は多い。さらに進むと住宅地に入り、やがて東名高速道路に行き当たった。鄙びた田舎町から街道の記憶を残す山道、そしていわば現在の街道とでもいうべき高速道路に行き当たる。なかなか変化に富んだ道という気はする。ちなみに、何度か現れる看板によれば、この付近の姫街道は高速道路の建設により、部分的に寸断されている箇所がちらほらとあるようだ。むしろ、ここ以外ではおおよそ当時の道が破壊されずに残っているのも感心に値する。そして、東名高速に絡みながら大里峠という小さな峠を越える。行政が設置したと思われる看板に、手書きの豆知識が付記…というか落書きされていて、旅の途中で行き倒れた人が実名付きで公表されていた。これを書いた人は何を伝えたかったのだろうと思いながら歩くうち、三ケ日の町の中心部に入った。

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 気賀の近辺が昔からの田舎町というムードだったのに対し、三ケ日の方は小さな町ながらスクラップアンドビルドが進み、今風に進化を続けている感じはする。宿場の名残である本陣も一里塚も、ほとんどその形骸を残してはいない。ただ、そんな道にも昔の街道にゆかりがあると思われる歴史のありそうな民家は点在している。点在はしているが、街道観光にそこまで熱心でもないようで、それを喧伝はしていない。要するに、一般非公開の現住古民家みたいになっているので、特に写真は撮らなかった。興味があれば、自分の足で歩くか、googleで見るかしていただきたいところだ。一応、行きがかりの酒屋に「吟醸酒 三ケ日宿姫街道」の看板が出ていた。これはちょっと商売っ気を出してる感じはするけれど、この街での姫街道は、観光資源ではなく生活の中に当たり前に存在しているものなのかもしれない。

 地図上それなりの広がりに見える三ケ日の町も、歩いてみると意外に簡単にその範囲を抜けてしまった。国道362号に再び合流する。ここから先は本坂峠越えの道となる。ここまでいくつかの峠を越えてはきたが、静岡と愛知の県境に横たわる弓張山地の一鞍部・本坂峠は、それらに比べると頭一つ抜けており、低いながらにちゃんとした山という感じがする。たぶん、標高にして300mほどにはなるのではないか。三ケ日の町がほぼ0mだと思われるため、ここからある程度時間をかけつつ、300mを登ることになるのだろう。

つづく

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