魔性の残り火・羅城門の跡に行く

画像 羅城門とか羅生門とか言われるものは、平安京の大門のことだ。都の外からこの門をくぐると、その先は朱雀大路になっていて、ついには宮城に至る。つまりは都を左京と右京に断ち割る通の入口と言うことになる。その東西には、東寺と西寺と言う大寺院を配していたと言われるが、西寺は早い時期に廃れ、現在まで残るのは東寺のみだ。しかしこの東寺が、現在の京都で見ると、東と言うよりは西に寄った位置にある。そもそも、二つの寺院を結ぶ線に正中するはずの京都御所よりも西にある。京の都は早くから西側が廃れ、東に伸張して行った証だと言える。従って、羅城門も、現代的感覚で言うと、京都の中央というより西寄りのラインに位置していた。おおよそ、山陰線をそのまま南に延ばしていくイメージと考えると手っ取り早い。

 羅城門は、破壊と再生を経験しているが、前述したとおり都大路の入口としての重要性は時を経ると失われたため、後年には荒れるに任せる状態になっていたということだ。今風に言えば、廃墟と化し、得体の知れない連中が好んで出入りするような場所となって行った。そうしたありさまが、後世に様々な怪異談を残す要因となったようで、羅城門の鬼の説話はつとに有名だ。この羅城門の鬼を茨木童子と同一視する伝承もあるが、いずれにせよ、そうした妖魅の類が住み着いていたとしてもおかしくない、鬼哭啾々の雰囲気があったのだろう。

 そんな羅城門の跡に行ってみた。

画像 と言っても、現在では国道171号からわずかに奥に引っ込んだ、小さな公園の一画に羅城門址の石碑が立つだけの状態となっている。周囲は住宅地化しており、妖怪変化が迷い出る隙もないほどに都市化が進んでいて、京都市内ではよく見る、ありふれたいしぶみが立っているだけという程度の感慨しかわかなかった。まあ、後世に残る説話集に怪異談が取り上げられたとは言え、一応は歴史的建造物の遺構の跡には違いない。都の魑魅魍魎を鎮める祠の類が残るような場所とならなかったのは当然なのかもしれない。

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