村雨城の謎

 今調べてみたのだが、初代ファミコンのディスクシステムが発売されたのは、1986年のことだったようだ。ファミコンソフトが爛熟期を迎えるのが1980年代末のこと。一方ファミコン自体の発売が1983年のことなので、なんだかんだで10年近くも続いたハードとしての寿命のうち、かなり早い時期に売り出されたものだったようである。鳴り物入りで登場したのだと思う。初期には「ゼルダの伝説」や「メトロイド」など後年まで続く人気シリーズがリリースされているが、そんな中に紛れてひっそりと沈んで行ったソフトもある。例えば「謎の村雨城」がそうだ。

 村雨城と言う城は実在しない。謎の生命体が巣食うような城などあってたまるものかという話だが、そもそも雅称として村雨城の名を持つ城もついぞ出合ったことが無いように思う。世代的に言って、そんな城と出会ったら、真っ先に謎の村雨城を思い出しそうなものなのだが、そうはならなかったのだから、ありそうでない城名なのだろう。

 ところが、そんな村雨城が、滋賀県内に存在しているのを見つけた。しかも、あろうことか国指定の史跡なのだという。自分のリサーチの甘さを恥じ入るばかりだが、登録名は「甲賀郡中惣遺跡群」。甲賀忍者の甲賀である。村雨城の登録物件名としては、あまりにもおあつらえ向きである。

 そんなこんなで、京の冬の旅第二弾に絡めて、この村雨城にも行ってみることにした。最寄駅は、草津線の甲南駅。関西線経由で柘植から入る。貴生川までは名古屋駅の自動券売機できっぷを買えるので、その手前の甲南駅までは意外にも簡単にきっぷを手に入れられた。もっとも、その道のりは決して近いとは言えず、2回の乗り換えを挟んで2時間ほどはかかる。さらに、村雨城までは駅から2~3㎞ほどの距離がある。バスの類は使えないので歩く。甲賀忍者の里と言うと何だか物凄い山奥を想像されそうだが、そんなこともない。雰囲気にはむしろ盆地程度の開放感があり、低平地は十分にある。そんな甲賀市の中を新名神高速道路が突っ切っており、村雨城は甲南PAのすぐ近くに位置している。

 が、結論から言えば、私は謎の村雨城にたどり着くことができなかった。村雨熱がさほどでもなかったので十分な事前調査をせず、早い話道を間違えたのだった。「甲賀郡中惣遺跡群」は複数の史跡に着けられた名なので、欲をかいてこれらの多くを取りにかかろうとした結果がこの様である。結局見られたのは、新宮城一か所だけだった。今では鬱蒼とした林に包まれているこの城跡には、土塁や削平地形などが残っている。が、総体的に見て雑木林とも人工林ともつかない樹林地帯地帯になっており、国指定史跡のわりには何となくみすぼらしい印象は否めなかった。

 他にも村雨城を深追いしなかった理由はある。一つはもちろん、午後の遅い時間帯には京都に着いていたいと言う腹があったことなのだけれど、近くにある甲賀流忍術屋敷と言うのを訪ねてみたいせいもあった。甲南地域は、忍者の里で売っている。伊賀のような派手さはなく、どちらかと言うと実直な忍者観光を展開している感じである。甲賀と言えば、ハットリ君のライバル・ケムマキの故郷であり、主人公の郷里である伊賀に比べられるせいか、何となく地味な印象はある。なんかその昔に、信楽などを家族旅行で回った折に行ったことがあるような気もするが、もう30年近くの時が経とうとしているし、また見学するのも良いだろうと思ったのだった。ちなみに、忍術屋敷系列の施設は戸隠流以来の訪問となる。

画像 やっぱりバスなどないので、てくてくてくてくと回り道して忍術屋敷に到着。普通の住宅地の一画にあったので、客がほとんどいないのではないか、大丈夫だろうかと不安になるが、全然そんなこともなかった。ちびっこを伴った家族連れを中心に、結構な数の人が見学している。屋敷の中に入ると、すでに係の人の説明が始まっていたが、伊賀流と違って明度の高い忍者が説明しているわけでもないのが好もしい。この屋敷は甲賀の頭目として知られる望月出雲守の屋敷として建てられたもので、映画村にありそうなアトラクションとは物が違うのだそうだ。まずはそれを確認できて安心した。

画像 中には、定番のどんでん返しや、二階・三階の隠し部屋、重くて分厚い刃物も通さないような木戸、侵入者を陥れる落とし穴、分家の屋敷に通じる地下通路、特殊な手順を踏まないと開かない窓など、これぞ忍者屋敷と言うからくりが多数存在している。そしてそれがすべて本物なのがうれしい。また、忍者の道具として、まきびしや苦無なども展示されている。こちらの忍具関係は本当に使われたものなのかどうか、ちょっぴりいぶかしくも思えるが、総じて見所は多い。ちなみに、望月氏は信州佐久地方にルーツを求められる一族である。海野氏・望月氏とかの名は聞いたことがあるが、あのあたりにつながっているということのようだ。

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 村雨城は空ぶったが、忍者屋敷に確かな満足を得、京都に向かう。が、草津線は一時間に一本しか走っていない。これが足かせとなり、二度目となる京の冬の旅には暗雲が立ち込めはじめていた。



画像 京都駅はやり過ごし、丹波口駅で下車。目指すは島原の角屋だ。前回は振られたけれど、今日は特段問題もなく入場できた。が、ここに来たのは初めてではない。そして中で展示している内容も前回と大差はないような気がする。ただ、揚屋建築というわりと特色の出る建物の内観を見学できるので、それなりに見ごたえがあるのは間違いない。

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 問題はその後、壬生寺だった。この間は受付時間終了に間に合わないという大失態を冒したのだが、今回も同じことを繰り返してしまった。亰の冬の旅では、基本的に受付終了が16時に設定されている。平均的な観光施設が17時閉館であることが多いので、前回の失敗にもかかわらず思い込みにとらわれて失敗したのだった。それにしても16時で終わりと言うのは早過ぎる気はする。1月中ならば、16時過ぎると暮色の忍び寄るのが実感として分かったのだけれど、2月も下旬を迎え春も遠くない時期となると、16時などはまだ日が高い時刻に思えてならない。

 敗北感に打ちひしがれながら四条通を東へ向かう。ポケGOは最近になって金銀の連中が追加されたようで、ふらふら歩くうち、レアリティはともかくとしても、新手の収集は捗った。別にそんなことがしたくて京都に来たわけではないのだけれど、まあ時間つぶしには手頃なツールであると言える。

つづく

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