天地名刹

 二日目に狙っていくのは、金戒光明寺、聖護院、知恩院。できれば妙法院にも回りたかったのだけれど、ここはちょっと方向が違う。どちらかと言うと、前回で回った建仁寺や高台寺、西福寺に抱合せるとちょうど良さそうな位置でもある。残念だけれど、次の機会に繰り越すことにし、まずは金戒光明寺へ。

 前にこのお寺に来たのは昨年5月の末のことだった。金戒光明寺を目当てにしたものではなく、あくまで、近くの真如堂の殺生石鎌倉地蔵を見に行ったついでに立ち寄った。やっぱり祇園から歩いたのだけれど、もう初夏が近い時期だったので、暑さに辟易する遠い道のりだった記憶がある。今回は今回で冬場の訪問ではあるが、底冷えがするような気候ではないので、まあさほどに遠くは感じなかった。

画像 金戒光明寺は浄土宗の寺院だ。くろ谷の通称で知られる。前回も感じたけれど、その威容は訪れる者を圧倒し、よく言われるように城のような迫力がある。微高地に位置し京都の街を見渡せたこと、東海道の抜ける蹴上の地に近いことなどから、幕末に京都守護職となった松平容保はこの寺を本陣としている。知恩院もそうだが、江戸時代に入ったころには、京都で有事があった際には、幕府が一個の軍事拠点として運用する思想があったようだ。容保をパトロンとした新選組の出入りもあったことから、観光シーンではこの部分が強調されることも多いが、最近の現地は微妙に「八重の桜」押しであるらしい。もっとも、大河ドラマの中で視聴率的には傑出していたわけでもなかったので、やがては新選組ゆかりの寺と言う所に落ち着くのだと思う。

画像 京の冬の旅に際して公開されているのは、会津藩士にゆかりの鎧兜や、大方丈など。後者は、身分ある人の居所となるにふさわしい格式を備えており、なかなか見ごたえがある。なお、御影堂ではいくつかの仏像を拝観することもできるが、これは京の冬の旅とは関係なしにいつでも見られるもののような気はする。ただ、お寺関係に共通して言えることだが、建物内部の写真を撮ることは禁止されており、写真撮影が可能なのは庭園に限られていた。
 
画像 さて、金戒光明寺本体とは別に、ここでもその塔頭の一つである西翁院が、それ単独で特別公開されている。と言っても小さなお寺のようである。有名なのは「淀看席(よどみのせき)」と呼ばれる茶室だが、この西翁院自体が平時は一般に公開されていないお寺なので、名前は売れていてもそうそういつでも見られるものではない。ちなみに「よどみ」とは、この高台の小さな寺から淀川が見られたことにちなむ名なのだそうだ。中に入ると、小さな庭に面する本堂の前に通され、その淀川の方を見つつガイドの人が説明をしてくれたのだけれど、現在では建物の背が高くなってしまったので淀川を見渡すとはいかない。また、西翁院の敷地の間際まで近隣の民家が迫ってきた関係で、これらの住宅のプライバシーに配慮し、寺の周囲を囲う生垣を高くした結果、より一層外界の様子はうかがいにくくなっている。もっとも、近年ではかつての展望を取り戻そうとする試みも行われているのだそうだ。その後、くだんの茶室に案内される。わずか三畳の小さな茶室の中に入ることはできないが、にじり口から中の様子を見ることができた。利休の流れを汲む藤村庸軒の茶室なのだそうで、これが浴び茶の世界なのだろうなと言うのがしみじみと感じられた。

 この冬公開されている文化財の中でも最も小さなものの一つだからなのだろう。ガイドは中に入ってから最後までずっと同じ一人の人についてもらう形となった。ついでに言えば、それが若い娘さんだったのも珍しい。訪れる客はそんなに多くなく、激戦区でないという判断からそうなったのだろうか。何となく緊張感が伝わってきそうなところはあったけれど、フレッシュでよろしい。

画像 次いで、金戒光明寺から比較的近いところにある聖護院門跡に移動。単純に観光地としてみるとマイナーな部類に属するお寺だと思われる。一般にはたぶん、聖護院大根とか聖護院蕪とかの京野菜、そして聖護院八つ橋の名前が良く知られているのではないか。お寺とこれらの京野菜やお菓子とは直接的なつながりはないが、おのおの発祥地であるところの聖護院の地名はこの寺院から来ており、寺格は相当高い。現地に行くまで知らなかったのだけれど、修験宗の総本山なのだそうだ。直感的には修験宗=修験道と考えて間違いなさそうだ。

 ちなみに、今年の京の冬の旅の宣伝写真では、このお寺に関連して日本人形か何かの写真が使われているのを良く目にしたのだけれど、実のところこれがれっきとした仏像で、弁財天像なのだそうである。いざ現物に対してみても風変わりな仏像で、着物を身にまとっているのもさることながら、仏像自体に鮮やかな彩色が施されているのだそうである。

 なお、皇族などを門主とした寺院らしく、その建物からも格式の高さが感じられる。特に狩野派の襖絵などは豪奢さに目を見張るけれど、修験のお寺らしくほら貝も置かれていて、拝観客が時折それを吹き鳴らしているのが何とも言えず珍妙な光景に思えた。ちなみに私は、吹き鳴らすことができなかった。ほら貝自体が音を発するというより、唇で鳴らした音をほら貝で増幅すると言った方が正しい原理だというのは分かったのだが、だからと言って思うような音は鳴らなかった。

画像 最後に知恩院へ。ここも大きなお寺である。同じく江戸幕府の後ろ盾を得ていた金戒光明寺、皇室や摂関家とゆかりの聖護院と、特に意識はしていなかったけれど、今回の旅では格式の高い寺を渡り歩く形になった。失礼ながらどうしても観光寺院のイメージが先行しがちな知恩院ではあるけれど、ご回向と言うのをやっていた。見様によってはビジネスライクな作法が完成されているのかもしれないけれど、外国人観光客が熱心に見入っていたように、日本人の私から見ても興味をひかれるものだった。

画像 このぐらいの有名寺院になってくると何度も来たことはあるし、京の冬の旅・夏の旅などで特別公開を行うこともしょっちゅうのような気がするのだが、持ちネタが多いらしく、それらをローテーションするだけでも「京の冬の旅○年ぶりの公開」となるらしい。今回公開されていたのは大方丈・小方丈・方丈庭園だったが、ここも数十畳の広間に絢爛豪華な襖絵がある、いかにも徳川将軍家の菩提所と言う趣の寺院建築だった。ちなみに、知恩院には七不思議と呼ばれるものがあって、その中の一つに「抜け雀」の襖絵と言うのがあるのだけれど、それの本物を始めて見ることができた。

 今回の旅で、スタンプラリーのスタンプは4つ集まった。しかし、ちょっと一服接待を受けようにも適当な場所に行けなかったので、3つたまったきりの台紙を一枚をキープしつつ、やりかけの台紙も残したまま引き上げることになった。次回で壬生寺と妙法院を取って締めくくるのがスマートだろうか。そうすると東寺が残る。パワーのあるお寺ではあるけれど、わかってくれるよね。東寺にはいつでも行けるから。

 時に、洛東エリアを重点的に攻めた今回の旅では、東山の峰々を近くに仰ぎ見ることが多かった。その都度、思った。京都一周トレイル東山コースとの完全決着をつけなければ、と。

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