令和最初の九州旅・その1

 2019年4月30日。つまり平成最後の日。テレビの番組はしきりに「平成が終わるタイミング、あなたはどこで何をしていますか?」というようなメッセージを発していて、ああ一つの時代が終わるのだなあという思いを強くしていた。いくぶんか感傷的な気分になっていたのは間違いないのだけれど、実際そのタイミングを迎えたとき、私はメランコリックな気持ちに浸るも何もなく、眠り呆けていた。翌日から始まる令和最初の九州旅が、例によって早朝出発のものとなるのでやむを得ないところだったのだけれど、つまりはその翌日一日、まともにテレビやネットのニュースを見るでもなく、一日中駆けずり回ることになったので、取りようによっては時代の流れに取り残されていたと言えるのかもしれない。

 今回の旅は、文字通り九州旅行がメインとなる計画の物で、その中でも九重登山と五島行きが核になるものだというのは先に触れた通りだが、そこにあれこれ計画を積み増していった結果、オプションが重くなった。まず、初日は夜までに大阪南港に向かってフェリーに乗れば良いはずの日だったのに、つい出来心で和歌山平定を企ててしまったり、そこからの流れで水間観音駅と和泉中央駅に行こうとしたがために、結局は朝一番に行動を開始する羽目に陥ってしまった。さらに船中泊も含めて3泊4日の旅だったのが、どうしても広島に泊まりたくなってしまったので、さらに後ろに一日延びることになってしまった。その分荷物は増え、その一方で強行日程に拍車がかかるというひどいスケジューリングに陥ってしまったのだが、どうせいつものことだから仕方がないと、雨のためにふいになった令和最初の日の出の様子を報じるテレビ番組を尻目に、家を出た。

 まずは、近鉄で大阪上本町駅に向かう。一時、近鉄の特急アーバンライナーが新幹線と張り合うような広告を打っていた時期があったが、急行を乗り継ぐ。特急にしたって新幹線には太刀打ちのしようもなかったのだけれど、運賃についてはJRよりも近鉄に分があり、名古屋‐大阪と近鉄名古屋‐大阪上本町を比較する際、後者の方が結構割安に済むのである。ちなみに、JRの場合、少ない場合は米原で一回、普通に行っても大垣でもう一回余分に乗り換えが発生する程度で済むところ、近鉄は伊勢中川で最低一回、始発列車だと名張近辺でもう一回余分に乗り換えが発生するのでこれもどっこいどっこいである。所要時間については近鉄の方が30分近く長くなる傾向にあるが、まあ誤差の範囲という気はする。後は、JRの新快速の方が米原から先を景気よく飛ばしてくれるので、気分の問題くらいしか差はないようにも思えるが、今回はいろいろ持ち出しの多い旅となるので、序盤は始末してかかることにした。

 上本町駅から地下鉄で天王寺駅まで移動し、そこから先は結局JRの阪和線で和歌山駅までひた走った。そして和歌山駅より先、和歌山県で最後に残された路線・和歌山電鉄の旅が始まる。以前に少し書いたことがある通り、和歌山駅は構内改札が名物みたくなっている。同じJRの路線でも、和歌山線への出入りに自動改札を通らなければならないのにも閉口したが、今回は別会社の電車に乗ることになるので、当然ここでの改札は避けられない。

画像 和歌山電鉄の名物はネコのたま駅長で、現在はその跡目を襲ったニタマ駅長とよんたま駅長が来客に(無理のない範囲で)愛想を振りまいているのだそうだ。その影響か、電車内には、安易に犬猫を飼うんじゃないというような広告がびっしり貼り出せれていたりもする。ただ、私がここにやって来た目的は彼らに会うことにはなく、主にこの路線の走破にある。窓口では、一定区間以上を往復するなら一日乗車券を買った方がお得とあったので、進められる通りこれを買おうとしたら、今日はニタマ駅長が私の目指す終着駅・貴志駅に出勤していないが良いかと念を押された。いいですとも!

画像 なお、よんたま駅長は道中の伊太祈曽(いだきそ)駅に出仕しているということだが、私の目指すものはそこにはなかった。正確には、伊太祈曽駅を取るとゲーム内報酬をもらえるイベントが開催中なので、それもあって和歌山くんだりまで足を運んでみようかという気になったのだが、システム上伊太祈曽駅で下車する必要がないので、一気に貴志駅まで進み、もぬけの殻となった駅長室を見学した後、とんぼ返りで和歌山駅まで戻った。とにかくこれで、和歌山県内の駅は制覇したことになる。

 ついで、水間観音駅(水間鉄道)、和泉中央駅(泉北高速鉄道)にも行く。これら二つの駅とも、伊太祈曽駅と同様にして駅に足跡さえつければ良い扱いとなっているので、きわめて機械的に駅まで行って帰るだけに終わった。というか、二駅とも以前の同様のイベントの時に、下車して近在の名所なり駅前の様子なりを見ているので、そこから1年程度しか経過していない今日、あえてもう一度同じことをしようという気にはならない。時間もないし雨も降っているしで、踏んだり蹴ったりである。強いて言うなら、泉北高速鉄道の沿線にズムシティみたいな町がったような漠然とした記憶があったので、その車窓風景を撮影することだけは少し楽しみにしていたのだけれど、道中そんな場面は一度もなかった。まさか夢を見ていたわけでもあるまいがと首をかしげていたが、よくよく考えてみれば、あれはそれこそ近鉄長野線沿線の富田林かどこかの風景だったような気がする。

 とにかく、近畿圏内での宿題はこれで片付いた。宿題というか、これは呪いなのかもしれない。観光状態した必然性はなくても、鉄道に乗り、駅に行かなくてはならない呪い。さしずめ今回の旅は、駅の呪いを解く旅なのかもしれない。

画像 時間が半端に余ったので大阪城公園を少し流した後、いよいよコスモフェリーターミナルへ。前回の志布志行きで要領をつかんだつもりでいたのだが、甘かった。志布志航路と別府航路では船自体の新旧の差によるものか、少しばかり乗船のシステムが違うようだったし、何より普通の週末と未曽有の大型連休の差がもろに出た形で、事前の補給用に当てにしていたトレードセンター内のコンビニは、食料品を中心に物資が払底しかけている状態。ケチが付きかけたけれど、前回の戦訓をもとに、南港出航前にレストランに入り(別府航路は出航が遅いという事情もある)、食べ物が豊富にある状態で食事を済ませた。地の物を使ったメニューは志布志に比べて乏しいような気もしたが、気持ち料金も安かったので、良しとしよう。その後、甲板に出て沿岸の駅を集めた。今回は瀬戸内海を進む関係で志布志航路の時よりずっと駅を集めやすかったのだけれど、特に今回回狙っていたのは、神戸市沖合の人工島にあるマリンパーク駅。無事にこれを取ることができ、兵庫県内で残されたのは、姫新線沿線の数駅ほどを数えるのみとなった。

 なお、船室に入ってしまうと電波が届かず、位置情報が取れないのは前回と同様である。加えて今回は、昔ながらの二段ベッドを複数連ねた相部屋形式の部屋に入ることになったのだが、ここに個人用のテレビはなく、さらに具合が悪いことに同室の客は私以外皆家族という状態で、アウェイ感がひどかった。うまくいかないもので、こういう時に限って暇つぶし用の文庫本をもってきていなかったので、後は仕方なくふて寝することになった。

 瀬戸内海は多島海である。海域に浮かぶ大小さまざまの島と、本土の陸地によって海の道が狭められている箇所は多く、そういう場所は多くの船が行き交うとともに潮の流れが複雑になり、往々にして難所となる。さんふらわあ あいぼりは、約12時間をかけて大阪から別府までを移動する。他の航路や交通手段のことを考えると、明らかに時間がかかりすぎている感は否めないが、、法令により航行箇所が規定されている上に、ところによりせいぜい時速25㎞程度しか出せないような制限が設けられている影響が大きそうだ。そんな事情もありつつ、翌朝目が覚めると、船は別府湾の湾口付近にいた。もちろん正確な位置などわからないのだが、最寄の駅は日豊本線の幸崎駅と判定され、確かに海の向こうに山並みが見える。

 さんふらわあ あいぼりの朝はせわしない。何しろ別府観光港への着岸は7時前だ。レストランも朝食営業を行ってはいるが、5時台から営業を開始するスタートの早さだ。目覚めて、今日の準備をしているうちに、気が付けば港についていた。

 今日は、何をおいても九重山を目指すことになる。そのためには速やかに九重方面行の路線バスに乗り込む必要があったが、フェリーターミナルの前で待っている路線バスに乗り、同じく九重行きが出る別府駅に向かおうとすると、接続が非常に厳しいことになりそうだというのはわかっていたので、バスの並びで待っていたタクシーを捕まえて駅に向かった。タクシー・ドライバー苦労人と見えて、私の寝ぼけ顔見て見ぬふり。天気予報では今日一日晴れる話とゴールデンウィーク中の混雑の話ばかり。

 別府駅前に着くと、以前に見覚えのある銅像が、サッカーか何かのユニフォームを着ていた。なんだろうと思って近づいてみたら、銅像よりも台座の方に目が行った。「旅人をねんごろにせよ」と銘文が刻まれていた。この銅像のモデル、油屋熊八の座右の銘らしく、もともとは聖書の言葉らしいが、旅人である私はありがたくねんごろにしてもらおうではないか。熊八は、別府の観光開発の立役者で、亀の井ホテルの創業者、そして別府地域観光の重要な足であり、今日も当てにすることになる亀の井バスの創業者でもあるのだった。

つづく

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