熊野への道(紀伊長島~相賀)・後編

 今回の旅では、例によって駅の思い出を集めながら歩いている。三浦峠界隈は、紀勢本線三野瀬駅の領域となっている。にもかかわらず、これまでのところ三野瀬ゾーンが長く続いたわりに、一向三野瀬駅に近づいている実感がなかった。基本的に紀伊長島‐三野瀬間の駅間距離が長いという事情もあったが、ここに来てようやく、三野瀬駅を視認するところまで進めた。自分の目で見た三野瀬駅は、掘っ立て小屋をセメントで塗り固めた簡素な駅だった。北海道の、コンテナを利用した駅を除けば、もっとも簡素な構えの駅舎だ。換気の点からは百点満点、しかしここをゴール地点に設定したりすると、暑い時期寒い時期の停滞は辛いことになりそうだ。この先も、どの駅をゴール地点にするかの選択は重要な意味を持つことになるのを痛感した。

 三野瀬駅前を通り過ぎると、ほどなく道は国道42号に行き当たる。またも海辺の道である。これまで取り組んできた長距離ウォークで、こうも海が近い道はなかった。熊野古道伊勢路ならではともいえる。ただ、今日は海沿い区間と山道が繰り返し姿を現すので、少し飽きも来ている。何というか海は、山ほどに場所場所の個性が出ない気がする。人の暮らす街並みと比べれば言わずもがなだ。思うに、歩速で海を眺め続けるのがいけないのかもしれない。よほどの美観でもなければ。

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 そんなことを考えつつ歩いて、13:13、始神峠の入口に到着。読み方ははじかみ。焼き魚にくっついてくるあれと同じだ。「始」の字で「はじ」と読むのは、何となくキラキラ感がある。別に「椒」の字をあてられることもあるようだ。これはサンショウウオのことを意味するが、今日では「始神」の字があてられることが多い。今日の第三峠で標高は147m。やっぱり、山登りというほどの高さではなく、登り口も公園の片隅にひっそりとあった。古道の峠としてはかなり格が高そうで、「東熊野街道の峠の中でも松本峠と並んで景勝の峠として知られていた」のだそうだ。

 ここも、明治道と江戸道の現存する峠で、近代まで徒歩交通の需要のある道だったことがうかがえる。なお、この登り口には、これまでよく目にした伊勢と新宮までの距離を示す意匠の熊野街道道標が立っていた。注目すべきはその距離で、新宮まで82㎞、伊勢まで84㎞とある。ちょうど中間地点の道標はないのか見落としたのか、とにかく目にはしてないけれど、名実ともに折り返し地点を過ぎたことになる。

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 早速登りに取り掛かり、20分ほどで鞍部に出た。石畳道もあるということだったが、この先の馬越峠とかのそれを想像していたためか、見るからにそれとわかる石畳には気づかないまま、山道を登り切ってしまった。鞍部は尾根筋を削ったような広場状の場所となっており、なるほど、確かに眺めは良かった。見えるのは伊勢側、つまり歩いてきた道のりの方だった。入り江状になった低い山が幾重にも折り重なり、今日のスタート地点だった紀伊長島駅付近さえも見えない。

 それにじても気がかりなのは時刻だ。時計を見ると13時半を回っている。ここまで来ると、馬越峠には相賀駅前エリアを15時前に通過出来たら挑戦するつもりになっていたが、1時間半足らずで相賀駅まで行けるかどうかは怪しかった。ここから先は平たんなコースになるので、慣れていれば走ることさえできそうだが、あいにくと私はランには慣れていない。しかし、気持ちは逸るので、下りは江戸道をチョイスした。江戸道を取った場合は国道まで760m、明治道ならそれより奥まったところの池までで2000mになると表示されていた。聞くところによると明治道は、荷車も通れる広い道だということだ。私が歩いた江戸道は、幅も狭く傾斜は急で、何度もおり返しながら下っていく道だった。その甲斐あってか、山道を抜けるまでは10分ほどで済んだ。林から飛び出すと、視線より高い位置に高架道路が見えた。一瞬国道なのかとも思ったが、紀勢自動車道らしかった。

 国道に合流した。駅メモによれば、相賀駅までは5㎞ほどだという。注意しなければいけないのは、これが直線距離で5㎞だという点で、14時間近のタイミングでこの調子だと、15時まで余裕を残して相賀駅にたどり着くというのは厳しい。少し進んだところの道路標識には、尾鷲まで国道42号沿いに進んで13mとあった。ただ単に13㎞歩くだけなら余裕で尾鷲まで歩ける。実際には、あっちへふらふらこっちへふらふらする上に山越えと来ているから、事は簡単でない。さらに行くと、熊野古道の道標に「馬越峠登り口まで8.2㎞」とあった。頭の中で大まかなところを計算すると、登り口に着くのは16時頃。300mの山なんて大した山ではないという思いもある。近場の同じくらいの高さの山、例えば尾張富士や金華山なら1時間もあれば登って降りられる。日暮れ前までに尾鷲の街にたどり着けるような気もするが、そこはそれ、低いと言っても未経験の山だ。危ない橋を渡るのは諦めた。

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 これまでそうしてきたのと同じように、国道に引っ付いたり離れたりしながら、今日のゴール地点に定めた相賀駅を目指した。相賀駅近くは、意外に人家の多い地区らしく、田舎とは言え思ったより繁華な雰囲気はある。実は一つ手前の船津駅をゴールにしておけば、14時台の列車で帰路に着けたのだけれど、それを見送ったことで相賀駅17:03発の列車で当地を離れることになったようだ。まあ仕方がない。次回のことを思えば、少しでも先に歩を進めておいた方が良い。気になるのは前途の山並みで、あの中のどこかを次で越えることになるのだろうが、300m程度の山にしてはいやに高く見えた。たぶん、最低鞍部を越えるのだとは思う。でも…。

 相賀駅周辺は、この地域の中心となる街らしい。銀行もあればコンビニもある。商店のろくにない、駅があるだけのような場所を想像していただけに意表を突かれた気がした。駅に着いたのは、15:49。心折れたのに加え、早く着きすぎても駅での待ちぼうけが長くなるという事情もあったので、がくっと足が遅くなった気はする。

 相賀駅は無人駅だ。幸いなことに掘っ立て小屋のようなことはなく、もとは有人駅として建てられた駅から窓口機能を取っ払ったような造りになっていた。そして、ある程度予想されていたとおり、駅舎内には「うこそ熊野古道馬越峠へ」とディスプレイされていた。無人なので「よ」の字が脱落しているのは仕方ない。

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 その様を見て、もう一度駅舎を出て、馬越峠がある方向を見た。近くの建物に隠れかけていたけれど、確かに300mほどの鞍部が見えた。あれなら、さほど苦も無く越えられそうだ。何となく手ごたえらしきものを感じ、1時間余り後からやってくるはずの亀山行き普通列車を待った。結局家に帰れたのは、松阪駅で近鉄特急に乗り換えたりしても21時過ぎのことになった。紀伊長島でワイドビュー南紀を待つこともできたが、さらに30分ほど遅い帰宅になりそうだったのでやめておいた。線形のせいか、特急でさえもそんなにスピードを出さない区間で、しかも乗り継ぎが悪いと来ているので、予想以上に時間がかかった感じだ。

 ところで、時間を持て余していたので次回以降の方針を検討してみたところ、当日の朝最速で家を出ても相賀駅に着けるのは11時過ぎだということが判明した。もちろん、帰りの時刻は今日と同じような感じになる。早い列車なら尾鷲を14時半ころに出発するものがあると思われる。それを見送れば16時半過ぎの普通、18時過ぎの特急ワイドビュー南紀となる。14時台のものに乗れれば話は違うが、それを逃すと帰宅は今回と同じような感じになる。もう一つ難があり、尾鷲市街を抜けた直後には、熊野古道伊勢路最高所となる八鬼山越え627mがある。例によって近場の山に当てはめると、猿投山とか三河本宮山の位だ。登って降りると4時間コースとなるだろうか。次の区間、馬越峠を越えるだけのコンパクトなもににまとめてさっさと引き上げるか、馬越峠越に観光要素を加えて熊野古道センターに立ち寄る(帰りは遅くなる)とするかの選択を迫られそうだ。バスも選択肢に含めれば、三重交通の高速バスが15時頃に尾鷲を出るのでこれだと具合が良さそうである。

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